元キャンディーズ伊藤蘭さんの旦那は、水谷豊さんです。1989年に結婚し、翌年には現在女優として活躍中の水谷趣里さんが誕生しています。
今回は、伊藤蘭さんと水谷豊さんの結婚当初のエピソードや夫婦生活について調べてみました。
目次
伊藤蘭の旦那は俳優の水谷豊
1989年、伊藤蘭さんと水谷豊さんが結婚しました。結婚当時、伊藤蘭さんは34歳・水谷豊さんは37歳で3歳差での結婚でした。
水谷豊さんは四人兄弟の末っ子で、北海道芦別市生まれです。父親が職を転々としているタイプだったので、転職の度に北海道の各地を移動することになり、北海道で過ごしていた頃の記憶はほとんど無いそうです。
その後、父親が東京都立川市で土建業を起業したため、水谷豊さんも立川で暮らすことになりました。小学校、中学校ともに立川の公立校で、高校では三鷹市の大成高等学校へ進学しました。
少年時代に白黒テレビを見て「いつかこの小さな箱に入ってみせるぞ」と考えていたことから、演劇の道を志します。1965年、12歳の頃に「劇団ひまわり」に入団しました。
俳優デビュー作の「バンパイヤ」でいきなり主役に抜擢され、1968年にテレビ初出演。1970年には「その人は女教師」で映画のデビューまで果たしました。
10代の内に夢を叶えてしまうとは、やはり演劇の才能があったのですね。
「小さな箱に入る」という目的を叶えた水谷豊さんは、一度お芝居の世界から撤退します。大学受験が控えていたことや別の世界を見て見たかった気持ちもあったのでしょう。
しかし、東京商船大学(現在の東京海洋大学)の受験に失敗し、フラフラする中で自分を見つめ直し、再び芸能の世界に戻ってきます。
業界の知人に「もう一度役者をやらないか」と誘われて、当初はアルバイトの感覚で役者としての活動を再開したものの、出演した「傷だらけの天使」が評価され、役者への道が大きく開かれました。後のインタビューで主演の萩原健一さんのことを「永遠の兄貴」と呼ぶほど、共演者同士の絆も深い作品でした。
長い俳優生活の中での代表作は「相棒」ですね。現在もシリーズとして続いています。俳優一筋でお仕事を続けてきましたが、60歳を過ぎた頃からは監督としても活動するようになりました。
伊藤蘭と旦那・水谷豊の出会いと馴れ初め
水谷豊さんと伊藤蘭さんは、雑誌の表紙撮影で共演したことがきっかけで出会いました。水谷豊さんはかなりシャイな方で、元々雑誌の表紙の仕事は断っていたそうなのですが「キャンディーズと一緒の撮影」だと聞き、この時は即OKを出したんだとか。水谷豊さんはキャンディーズの大ファンだったからです。
水谷豊さんは恥ずかしくて会話も出来なかったそうですが、帰り際に勇気を出して握手をしてもらったそうです。
その後、水谷豊さんと伊藤蘭さんはドラマ「あんちゃん」で再度共演します。
共演をしている仲でもありますし、水谷豊さんと伊藤蘭さんの関係性については当時メディアでも噂になっていたようです。
伊藤蘭は旦那・水谷豊が前妻と結婚中に関係性を深めていた?
1982年 | 水谷豊さんと前妻・ミッキーマッケンジーさんが結婚 |
1982年 | 水谷豊さんと前妻・ミッキーマッケンジーさんの別居報道 |
1982年 | 水谷豊さんと伊藤蘭さんが「あんちゃん」で共演 |
1983年 | 水谷豊さんが伊藤蘭さんを指名して「事件記者チャボ!」で共演 |
1983年頃 | 水谷豊さんと伊藤蘭さんに熱愛疑惑 |
1986年5月 | 水谷豊さんと前妻・ミッキーマッケンジーさんが離婚成立 |
1986年5月 | 水谷豊さんと伊藤蘭さんが都内マンションで半同棲生活開始 |
1987年頃 | 水谷豊さんと伊藤蘭さんに音沙汰が無かったため、破局説が流れる |
1989年 | 水谷豊さんと伊藤蘭さんが結婚 |
1989年 | 水谷豊さんと伊藤蘭さんがハワイで極秘挙式 |
1990年 | 水谷豊さんと伊藤蘭さんに子供(娘・水谷趣里)が誕生 |
「あんちゃん」のドラマが放送されていた1982年頃、水谷豊さんはアメリカ人女優のミッキー・マッケンジーさんと結婚し、新婚状態でした。ミッキー・マッケンジーさんとは、「熱中時代・刑事編」で共演した仲でした。
しかし、結婚半年ですぐ東京とロサンゼルスで別居状態になってしまい、不仲説がささやかれるようになりました。
その一方、1983年の「事件記者チャボ!」では、水谷豊さんが伊藤蘭さんを指名して再び共演をしています。指名をするほど仲が良かったことから、メディアでは水谷豊さんと伊藤蘭さんの熱愛疑惑報道がされたものの、伊藤蘭さんが明確に否定しています。
当時はまだ水谷豊さんが前妻との婚姻中だったこともあり、伊藤蘭さんは「家庭のある人はダメなんですよ。ドロドロするのは嫌い」とはっきりコメントしています。俳優の先輩として尊敬はしているものの、プライベートで恋愛感情は一切なかったようです。
その後、1986年5月に水谷豊さんとミッキー・マッケンジーさんは離婚をしています。離婚の理由は「性格の不一致」など様々あったかと思いますが、ミッキー・マッケンジーさんが流産してしまい、子供が出来なかったことが離婚理由の一つだったのではないかと言われているようです。
前妻との離婚後、水谷豊さんと伊藤蘭さんは東京都内のマンションで半同棲生活をスタートさせました。所属事務所も2人の関係を否定していませんでしたが、特に2人に動きがなかったことから一度破局説も流れました。
伊藤蘭が旦那・水谷豊と結婚した決め手とプロポーズの言葉
水谷豊さんと伊藤蘭さんは、破局説が出るほどに沈黙を守り続け、静かに愛を育んでいました。
1988年11月、水谷豊さんは「一緒に住まないか」とプロポーズの言葉をかけました。これに対し、伊藤蘭さんは「それは同棲ということ?結婚ということ?」と返します。水谷豊さんは「僕は二度目だし、ずっと返事がないのでダメかなと」と少々弱気だったそうです。
プロポーズの言葉だと理解した伊藤蘭さんはその場で承諾し、「式の時には1回目の時と同じ服は着ないでくださいね」と申し添えたそうです。
これを受けて1989年1月22日、2人はハワイで極秘挙式を挙げました。
マスコミに知られないように別々にハワイ入りし、宿泊施設も別々に取っていたそうです。
しかし、それでも事情をかぎつけられてしまった2人は、当初予約していた教会をキャンセルして、急遽別の教会で結婚式を挙げたそうです。徹底的に秘密にしていたんですね。
伊藤蘭さんは、水谷豊さんと交際を6年半続ける中で、仕事への真摯な姿勢とそれをひけらかさない誠実な内面に惹かれていたようです。水谷豊さんの素敵な人格が結婚の決め手だったのでしょう。
元々、結婚願望が無く、家庭を持つことはないだろうと考えていた伊藤蘭さんでしたが、プロポーズを受けて「私が結婚?いいのかなぁ」という気持ちもありつつも「ずっと一緒にいられる」と思い、嬉しくなってOKしたそうです。
伊藤蘭と旦那・水谷豊の仲良し夫婦エピソード
水谷豊さんは家事育児があまり得意ではなかったようですが、おむつを替えたりお風呂に入れたり、お迎えを担当したり、率先して協力的に動いてくれたそうです。伊藤蘭さんはとても感謝しているとのこと。
そういった努力もあってか、結婚から30年経った今でも夫婦仲は非常に円満で、1度も大きな喧嘩をしたことが無いそうです。お互い人間ですから機嫌が悪い時はあるものの、それを相手にぶつけたりせずに良い距離感を守っているので言い合いや悪い雰囲気になったりすることは無いそうです。
水谷豊さんは黙っていても家事の手助けをしてくれるようで、伊藤蘭さんも「日々少しでもいいので思いやりや優しさが感じられればそれで十分」と語っています。都度「ありがとう」と感謝の意を表すことを忘れないことが夫婦円満の秘訣だそうです。
結婚当初は「ランちゃんさん」と呼んでいたそうですが、現在でも「蘭さん」「豊さん」とお互いのことをさん付けで呼び合って適度な距離感を保つように心がけているとのことです。素敵な関係性ですね。
どれだけ多忙でも、水谷豊さんはその日の出来事を伊藤蘭さんに報告しないと気が済まないようで、毎日お茶を飲みながら夫婦の会話を楽しんでいるそうです。
バリバリ仕事をやって芸能人として大活躍しつつ、家事も育児も参加する上、夫婦のコミュニケーションもしっかり取ってくれるなんて、とんでもなく素敵な男性ですよね。娘の水谷趣里さんには「ママは感謝したほうがいいよ、なかなかこんな人はいないよ。ラッキーだよ」と言われるのだとか。
伊藤蘭と旦那・水谷豊の間には子供が1人いる
1990年9月21日、水谷豊さんと伊藤蘭さんの間に第一子の長女・水谷趣里さんが誕生しました。現在「趣里」の名前で、女優として大活躍中です。
幼少期からバレリーナを目指していましたが、大きな怪我を理由に挫折。軽い気持ちで演劇のスクールに通ってみたことがきっかけで、女優の道へ進みました。
当初、特に水谷豊さんは娘の芸能界入りに反対していましたが、水谷趣里さんの女優としての実力が世間に認められるにしたがって、応援するようになりました。今では親子共演をしたいというコメントまでしています。
水谷趣里さんは、二世タレントとして見られるプレッシャーを避ける為、ご両親の名前を出さずに活動してきました。親の力ではなく自分の実力で、朝ドラ「ブギウギ」主演女優に抜擢されるまでになりました。
▼ 娘の水谷趣里さんについて、詳細は下記記事にまとめています!