【横須賀市長の息子】上地雄輔の実家は金持ち!実は政治家のご子息だった!?

横須賀市出身の上地雄輔さんの実家は、地元でも知られる存在。実家はお金持ちだと噂されています。

父親は横須賀市長を務め、裕福な家庭で育ったと言われています。

そんな上地雄輔さんがどのような環境で育ち、家族との関係がどのようなものだったのか、実家にまつわるエピソードを詳しくご紹介します。

上地雄輔の実家にまつわる噂と家族エピソードを徹底調査

  • 実家は金持ちらしい!
  • 実家の住所は神奈川県横須賀市
  • 実家の家族構成
  • 実家の両親の教育方針
  • 芸能界入りに対する実家の両親の反応
  • 実家にいた頃の幼少期家族エピソード
  • 愛車はベンツ

実家は金持ちらしい!


出典:Instagram

上地雄輔さんの父親は、上地克明さんといいます。

横須賀市市長や市議会議員をしており、政治家として地元で支持されてきた方です。

政治家の家庭であれば、一般的な庶民の家庭よりも裕福に暮らしているのは間違いなさそうです。

上地雄輔さんの実家はお金持ちだといわれるのも、仕方ないでしょう。

実家の住所は神奈川県横須賀市


出典:ねとらぼ(横須賀会のメンバー)

上地雄輔さんのご実家は、神奈川県横須賀市にあります。上地雄輔さんは幼少期からずっと地元・横須賀で育ってきました。

こちらが横須賀にある上地雄輔さんのご実家と噂されている家の外観画像です。

あくまでネット上の噂なので、これが本当に上地雄輔さんの実家の画像なのか、信ぴょう性については不明なのでご注意ください。

上地家のご先祖様は、元々宮古島の士族だったそうです。

本来は「かみじ」ではなく「うえち」と読むのですが、宮古島出身者や沖縄人であることで差別されることを恐れて、「かみじ」と名乗っていたようです。「うえち」は特殊な読み方で、沖縄出身だとバレてしまうためです。

上地雄輔さんがテレビで見せる穏やかさや明るさを考えると、宮古島出身と言われて腑に落ちる気がします。

  • 小学校 横須賀市立逸見小学校
  • 中学校 横須賀市立桜台中学校
  • 高校 横浜高等学校

上地雄輔さんは小学校へ入る前から野球にのめり込み、野球選手を目指して頑張っていました。

学級委員を務めて学校の行事にも積極的に参加しながら、全日本選抜チームに選ばれるくらい、練習に真剣に取り組んでいました。世界大会にも出場したこともあるとか。

中学校に進むと、横須賀スターズというチームに加入します。

全日本の選抜チームに選ばれているということは、かなりの野球実力者です。実際、高校進学の際には上地雄輔さんに対して推薦の申し出が40校ほどあったそうです。

当初は、常総学院高校(甲子園の常連校)に進学予定でしたが、横浜高校の練習見学に行ったことをきっかけに心惹かれ、横浜高校へ進学することを決めます。

上地雄輔さんはこうして横須賀でずっと野球にのめり込んできました。

高校野球の名門校・横浜高校へ進学すると、入学当初からかなり期待をされていた上地雄輔さんは、1年生にも関わらずレギュラーを獲得。試合に出場していました。


出典:スポニチ


出典:せんがんりょう

横浜高校では、あの松坂大輔さんとバッテリーを組んでおり、このまま順調にいけばプロ野球選手になっていたかもしれません。

しかし、上地雄輔さんは右肘の腱を怪我で損傷してしまいます。この故障が決定打となり、プロ野球選手の道を諦めています。


出典:X

上地雄輔さんは野球つながりで、小泉進次郎さんらと幼馴なじみです。

上地雄輔さんと小泉孝太郎さんは、横須賀の同じスイミングスクールに通っていました。

当時は小泉孝太郎さんのことを「こうちん」と呼び、水泳でいつも対決。中学生に上がると、今度は野球で対決するようになりました。

さらに上地雄輔さんの弟と小泉進次郎さんが仲良しで、上地雄輔さんに野球を習いに来ることもあったそうです。

そういった幼い頃からの長い付き合い・ご縁もあってか、上地雄輔さんの父親・上地克明さんが横須賀市長に出馬した際は、小泉進次郎さんが選挙支援をしてくれています。


出典:タウンニュース

横須賀の地元では、家族ぐるみで色んな方々と関係性を持っていることが分かりますね。

実家の家族構成


出典:横須賀市議会・無所属・藤野英明HP

上地雄輔さんの家族構成は、父親・母親・上地雄輔さん・弟の4人家族です。

父親は政治家の上地克明


出典:選挙ドットコム


出典:日テレNEWS

父親の上地克明さんは自民党に所属する政治家で、神奈川県の横須賀市長を務めています。

初当選は2003年、それから地元で長く支持されてきました。

  • 1977年 株式会社ニチリョウ入社
    • ー 新自由クラブ神奈川県連の広報副委員長と田川誠一衆議院議員の秘書を歴任
  • 1983年 神奈川県議会議員選挙に立候補(落選)
  • 1987年 神奈川県議会議員選挙に再度立候補(落選)
  • 2003年 横須賀市議会議員選挙に立候補(当選)
    • ー その後も4期連続で当選
  • 2017年 横須賀市長選挙
    小泉進次郎さんの支援を受けて自民・民進・公明の推薦を貰って立候補(当選)
  • 2021年 横須賀市長選挙に再選出

上地克明さんは、2020年4月には自分の夏のボーナスを全額カットし、副市長2人もそれに続きました。

市の政治の為に、身銭を切って頑張っているのですね。


出典:X

また、上地克明さんは音楽が大好きで、「上地克明 with GOLD」バンドを組んでいるそうです。ボーカルを務めて楽しんでいるようですよ!

母親は元CAの上地嗣奈江

上地雄輔さんの母親は、上地嗣奈江(かみじしなえ)さんといいます。元CAで航空会社で働いていました。

政治家と結婚するくらいですから、やはり奥さんもステータスのある職業をされていました。

現在の職業については情報はありませんが、旦那さんが政治家をやっているなら、その支えとして事務作業をやったり、何かと手伝いが発生するはずなので、専業主婦だと思われます。

関東学院出身の弟が1人


出典:Amebaブログ

上地雄輔さんには1歳年下の弟が1人います。

上地亮輔さんというお名前で、高校進学の際に野球で有名な関東学院高校に進学しています。

学生時代は兄の上地雄輔さんと同じように、野球に情熱を注いで頑張っていたようです。

上地雄輔さんは阪神タイガースが好きで、弟の上地亮輔さんは巨人が好きだったとか。

実家の両親の教育方針

上地雄輔さんは家族想いの母親と立派な父親との間で大切に育てられてきたのでしょう。

幼少期から野球を思う存分にやらせてもらっていますし、親の都合の押し付けなどは一切せずに、本人がやりたい好きなことをやらせる教育方針だったのではないでしょうか。

父親は政治家ですが、無理に自分の仕事や野望を継がせようとしたことは無さそうです。

母親も、息子にいわゆる世間的に良いとされる仕事を強要したりすることなく、子供の気持ちを尊重して子育てをしてきたのではないでしょうか。

「プロ野球選手」は、限られた人しかなることが出来ず、仮になれたとしても活躍するには、さらに才能が求められる職業です。

もし、子供の将来に口を出すタイプのご両親であれば、「プロ野球選手なんてほとんどの人が慣れないから目指しても時間と労力がもったいない、勉強して良い大学に入る方が将来安定する」といった考えで、子供をコントロールすることもあり得ます。

そういったことは上地雄輔さんには一切なかったようなので、ご両親は本人の気持ちを大切にしながら、育ててきたのでしょう。素敵なご家庭ですね。

芸能界入りに対する実家の両親の反応


出典:Amebaブログ

元々、プロを目指して野球一筋でやってきた息子が、いきなり芸能界で俳優を目指すと言い始めたら、ご両親はとても驚いたことでしょう。

横浜高校へ進学して野球部で日々練習に励んでいた高校1年生の頃、何の撮影かは分かりませんが、明石家さんまさんが、横浜高校野球部へやってきたことがありました。

その際、部員の皆さんにジュースを差し入れてくれたそうです。

差し入れを貰った部員はありがたく頂戴し、そのまま練習へ戻ります。

しかし、上地雄輔さんはその後色んな大人の目をかいくぐって明石家さんまさんの所まで行き、直接お礼を言いに行ったそうです。


出典:WEBザテレビジョン

お礼を言いに行ったのは、上地雄輔さんたった一人だけでした。顔を合わせた上地雄輔さんと明石家さんまさんは、ずっと喋っていたとか。

やり取りの中で明石家さんまさんは「おまえ面白いし、顔もええから芸能界入りぃな」と冗談半分で上地雄輔さんに伝えたそうです。

上地雄輔さんは冗談半分で言われたとインタビューで答えていますが、明石家さんまさんは本当に冗談半分だったのかは分かりません。

大御所の大スターで芸能界の前線で戦ってきた方ですから、冗談であっても、むやみに一般人に芸能界を薦めるとは考えにくいです。

上地雄輔さんに何か光る才能を感じ取ったからこそ、ついぽろっと「芸能界入りぃな」と言ってしまったのかもしれません。


出典:朝日新聞DIGITAL

明石家さんまさんの言葉が一つのきっかけとなり、上地雄輔さんは芸能界へ入りました。

高校2年生の時に致命傷となる故障をしてしまい、プロ野球への道は閉ざされます。

元々、上地雄輔さんはご両親に対して高校ではお金をかけさせないと啖呵を切って野球をしていたそうですが、故障の治療費や入院費用、リハビリでお金が掛かってしまいました。

そんな時期、野球観戦に向かっている途中に、表参道で芸能事務所からスカウトを受けます。

治療でお金が掛かってしまったのは仕方ないことかと思いますが、上地雄輔さんは親に対して申し訳なく思っており、少しでも家計の足しになればとスカウトを受け、芸能の仕事を始めました。

最初はバイトのつもりで軽い気持ちで入ったものの、ドラマオーディションを受けてみたらあっさり合格。以後、俳優として徐々に活躍の幅を広げていきます。

俳優として活躍し始めて数年、バラエティ番組「ヘキサゴン」のレギュラーに抜擢、以降は良く知られている通り「羞恥心」でブレイクして、現在にまでつながります。


出典:クランクイン

野球で故障した時は、ご両親も心配していたはずです。

体の心配はもちろんですが、それ以上に、今まで野球一筋でやってきたのにそれを丸ごと失ってしまった上地雄輔さんの心が壊れてしまわないか、気が気ではなかったのではないでしょうか。

ご両親はまさか息子が芸能界に入ってしまうなんて考えたことすらなかったと思いますが、バイトだったらまあいいかと許していたら、あれよあれよという間に活躍し出して、ご両親としては芸能界入りに反対する間もなかったのかもしれません。

なし崩し的にとりあえずやっていて、気づいたら俳優として食べていけるようになってしまったのですから、これも上地雄輔さんの才能です。

上地雄輔さんはちょこちょこ実家に帰ることもあるようなので、親子仲は現在も良好なようです。

実家にいた頃の幼少期家族エピソード

母親の上地嗣奈江さんは、毎日手作り弁当を作ったり、泥だらけのユニフォームを洗濯したりと、息子の野球生活を全力でサポートしてくれていました。

度々ある練習試合や合宿、遠征などにも協力して諸々の準備をしてくれていたようです。

しかしながら、上地雄輔さんが思春期に入ると反抗期が始まります。お小遣いを変な使い方して、少し悪そうな服を買ったことがあったそうです。

それを見た母親は、「こんなことのために働いているんじゃないよ」と上地雄輔さんに伝えたところ、上地雄輔さんは母親を突き飛ばして暴言を吐いてしまいました。

「働いて欲しいと頼んだわけじゃない。嫌なら野球を辞めて新聞配達でもする」と。

母親は涙を流してしまい、悲しむ姿を見た上地雄輔さんは反省します。心に深く残って、今でもこのことを深く後悔していると語っています。

親とはいえ人間なのですから、反抗期の子供の発言とはいえ、ひどいことを言われたら当然傷つきますし、涙も出ます。

自分のことを後回しにして、常に家族のことを考えてきたのに、こんなことを言われてしまっては辛いですよね。

上地雄輔さんは、こういった経験を通して親も単なる一人の人間であることを理解し、大人になっていったのかもしれません。

愛車はベンツ


出典:YouTube

上地雄輔さんは、メルセデス・ベンツが愛車です。ベンツの洗車の様子をYouTube「上地雄輔の遊tube」に公開しています。

外装をペインティングされており、見た目がマットな質感でカッコいい車ですね。

特殊加工をしている為、洗車の仕方が分からずに同級生の専門の方に教わりながら洗浄していました。

動画では、合間にキャッチボールする姿も撮られています。上地雄輔さんが人から愛されて、多くの方に囲まれている様子が分かります。

こんなカッコいい愛車を持っていて、仲間に囲まれて、とても幸せそうでした。

上地雄輔の実家に関する噂のまとめ

  • 上地雄輔の実家は神奈川県横須賀市にあり、父親は横須賀市長
  • 祖先は宮古島の士族で、姓の本来の読みは「うえち」
  • 父・上地克明は2003年から横須賀市議、2017年に市長当選
  • 母・上地嗣奈江は元CAで、子供の野球生活を支えた
  • 弟・上地亮輔は関東学院高校で野球をしていた
  • 幼少期から野球を続け、全日本選抜に選ばれた経験あり
  • 高校時代に故障しプロ野球を断念、芸能界へ転向
  • 明石家さんまの「芸能界入りぃな」の一言が転機に
  • 反抗期に母親を傷つけたことを今も後悔している
  • 愛車はベンツで、YouTubeで洗車の様子を公開