落合哲也(伯桜鵬哲也)さんは、「令和の怪物」と言われるほど将来が非常に楽しみな力士の1人です。快進撃を続ける落合哲也さんですが、いったいどんな家庭環境で育ったのか気になる方も多いようです。
特に、落合哲也さんの父親は何をしている方で、どんな教育を落合哲也さんにしてきたのでしょうか。
目次
落合哲也(伯桜鵬)の父親・落合勝也は経営者で金属加工会社の社長
落合哲也さんの父親は、落合勝也(おちあいかつや)さんといいます。鳥取県倉吉市で会社を経営しています。金属加工機械製造業の会社で、会社名は「有限会社野田組」です。
所在地 | 〒682-0014 鳥取県倉吉市海田東町112 |
従業員数 | 約45人 |
設立年月 | 1965年10月 |
資本金 | 3,000,000円 |
売上規模 | 100,000,000~300,000,000円 |
落合哲也さんは2003年8月22日生まれで、父親・落合勝也さんが39歳の時の子供です。計算すると、落合勝也さんは1965年生まれということになります。
落合哲也(伯桜鵬)と父親の幼少期の逸話が凄い
元々、小学2年生の時に櫻杯争奪相撲選手権大会に出場して相撲に関わってはいたものの、本気では取り組んでいませんでした。
どちらかというと当時は、上2人の兄と同様にサッカーにハマっており、フォワードやキーパーを頑張っていたようです。
しかし、小学4年生の時に町の相撲大会で優勝してしまったことを契機に、父親の落合勝也さんが息子の相撲の才能に気が付き、以降は落合勝也さんによって本格的に相撲をさせられるようになりました。
落合哲也さんは因幡相撲道場に通わされ、嫌々相撲をやっていたのにも関わらず、白鵬杯で団体優勝、わんぱく相撲全国大会準優勝、全日本小学生優勝大会3位と華々しい成績を残していきます。
成績を残してもなお、あまり乗り気ではなかった落合哲也さんでしたが、小学5年生の時に強くてずっと勝てなかった県外のライバルについに勝てたことをきっかけに面白くなり、そこから初めて自ら相撲をしたいと感じるようになったそうです。
成果が出ると、何事も面白くなりますよね。
とはいえ、気持ちよりも先に成績が上がっているのは凄いとしか言えません。まず才能が先にあって、最初に結果が出て、後から気持ちがついていくパターンもあるのですね。
小学6年生の時に巡業に来た白鵬に会った際に「将来横綱になって白鵬の成績を抜きたい」と本人を目の前にして宣言していました。
肝が据わってて、勝負師らしい度胸がありますね。
①父親に嘘を見破られ渋々相撲を続ける羽目に
小学4年生の頃、地元鳥取に相撲で日本一の小学生選手が来たことがありました。
まだ幼かった落合哲也さんは見栄を張って「明日、日本一の子が来るから倒してくるわ」と強がっていたそうです。
しかし、実際に対面してぶつかってみると、その力の差に驚愕。落合哲也さんは、壁まで吹き飛ばされてしまい、恐怖を感じて逃げ出してしまったとか。
見栄を張って強がってしまった手前、「どうだった?」と聞いてきた友人には「日本一なんてそんなに強くなかったよ」と、ごまかして嘘をついてしまったそうです。
負けず嫌いで、小学生の男の子らしい受け答えです。ボロ負けしたことを言うのは、プライドが許さなかったのでしょう。
どんな負け方をしたのか全部知っている父親・落合勝也さんは、一連のやり取りを聞いて「お前は日本一にならないと嘘つきになるね」と落合哲也さんに声かけをしました。
ぐうの音もでない落合哲也さんは、そのまま渋々相撲を続けざるを得なかったそうです。
息子の負けず嫌いな性格を上手く乗りこなして、相撲を継続させた父親・落合勝也さんの方が、何枚もうわてでしたね。
②稽古で頭をぶつけても「行け」
相撲の稽古中、ぶちかましというぶつかり稽古で落合哲也さんは、頭が痛くて挫けそうになっていたそうです。
頭に直接、衝撃を受けるのですから痛いのは当たり前ですし、他の親ならむしろ心配するかもしれません。
監督には「怖がってたらダメ」ともっと本気でぶつかるように指導されていたものの、それでも恐怖と痛みに足がすくんでいました。
この様子を見ていた父親・落合勝也さんは「行け」とけしかけて、そのまま稽古は継続させました。落合哲也さんは、痛みと悔しさとで涙があふれそうになっていました。
厳しい父親であるように感じますが、これも父親の愛情のひとつですよね。息子を強くさせてあげることも、父親としての責務だと落合勝也さんは感じていたのかもしれません。
甘やかしてしまって弱いまま大人になった時、困るのは子供自身なので、時には心を鬼にして厳しくするのも親の愛情だといえます。
落合哲也の父親・落合勝也の教育方針
落合勝也さんは「子供が主体的に取り組むことが大事、親はじっと待つこと」と語っています。
ある程度、子供に適性や才能が見いだされる環境までは親が導いてあげる必要がありますが、そこから先は、どれだけ子供が主体的に取り組んで、一人で成長していけるかが大事ですよね。
自分が成長したい、勝ちたいと思って、そのためには何が足りないのかを自ら考えて行動できるような人でなければ、どのみち行き詰まります。
無理矢理に相撲をやらせていたようで、気づけば子供が積極的にのめり込んでいたのですから、父親・落合勝也さんの教育方針は、正しいやり方だったのでしょう。
落合哲也(伯桜鵬)の父親は学生時代に柔道をしていた
落合勝也さんも学生の頃に柔道に取り組んでいたので、何か格闘技を子供たちにやらせたかったのが本音だったようです。
上記は落合哲也さんと両親の写真ですが、左に並ぶ父親・落合勝也さんもかなり強そうな体つきをしていることが分かります。
父親は60歳くらいですが、これから部屋に入門する10代後半の男子と同じような大きさと体つきです。身長もかなり高いです。
落合哲也さんは、柔道で鍛えた体を持つ父親の遺伝子をしっかり受け継いでいることが分かりますね。
落合哲也(伯桜鵬)と父親を見守る母親・落合和美のエピソード
落合哲也さんの母親は、落合和美さんといいます。
「親はじっくり待つべき」という父親・落合勝也さんに対して、母親の落合和美さんは「私は待つのが苦手」と語っていたことがあります。
特に、息子の怪我を心配していて、ぶつかり稽古で内出血したり、頭をたくさんぶつけている様子を見て、ずっとハラハラしていたそうです。
母親としては、相撲で勝つことも応援したいけど、健康で怪我無く心身ともに元気でいてもらうことを第一に願ってしまいますよね。
しかし、父親の落合勝也さんから「本人の前で(心配だとか)そんなことを言うな」と言われていたようで、ぐっとこらえて、夫の言葉を信じて何も言わずに任せていたとのことです。
男の子には、母親が口や手を出すべきでない試練の時があるものなのかもしれません。
落合哲也(伯桜鵬)の母親・落合和美はこども園の副園長先生
母親・落合和美さんは、幼少期に落合哲也さん自身も通っていた認定こども園「倉吉幼稚園」の教諭をしていて、現在では副園長にまでなっています。
公式HPにも「落合和美」さんのお名前が、副園長欄に記載されていました。
幼稚園教諭としてもかなりのベテランになりますし、期待の力士を育て上げた母親でもありますから、保護者の皆さんから絶大な人気と信頼を集めていることは間違いないでしょう。
また、副園長に出世しているので仕事仲間からの評判も高いのだろうと思われます。幼稚園教諭の中でも、「指導保育教諭」をされており、園児の教育をするにあたり、その他の教諭や職員に対して必要な指導やアドバイスをしてまとめる立場です。
地元倉吉の短大に呼ばれて、学生にキャリアに関する講演をすることもあるそうで、幼児教育へ積極的に関わっていることが分かります。
仕事も家庭も大切にしてきた素敵な母親ですね!
落合哲也(伯桜鵬)の祖父母の影響で相撲が好きになった
落合哲也さんは、幼少期に祖父母にすごく可愛がられたそうです。祖父母と一緒に3人で大相撲をテレビ観戦する時間が好きだったとか。
その結果、10歳から相撲人生をスタートさせました。
落合哲也さんは演歌や時代劇も大好きだそうですが、これも祖父母の影響だと語っています。好きなアーティストは、AIさんと吉幾三さんと公式プロフィールに記載されていました。
落合哲也(伯桜鵬)は3兄弟の三男だった
落合哲也さんは、男の子の3人兄弟の三男として育ちました。
末っ子ということもあり甘え上手。落合哲也さんには愛嬌があふれており、そのためファンも非常に多いですが、あの愛嬌は兄弟関係の中で培われたものだったのですね。
兄弟は全員、父親・落合勝也さんの「也」の文字が付いています。
長男 | 落合智也 |
次男 | 落合俊也 |
三男 | 落合哲也(伯桜鵬) |
兄は現在、父親の会社で働いているようです。
生まれた時は、三男の落合哲也さんが3850gでダントツで重くて大きかったとか。
母親・落合和美さんは、三男の出産が一番大変だったと語っています。0歳の時の写真が公開されていますが、生まれた瞬間から力士っぽい貫禄があるような気がします。
また、父親・落合勝也さんによると、末っ子の三男が最も負けず嫌いで、何でも勝ち負けをつけたがる性格だったとのことです。
生まれながらにして、勝負にこだわる性格をしていたことが分かります。
長男の落合智也さんは、2022年の実業団相撲選手権において、団体戦の出場資格を満たすために、頭数として相撲未経験にもかかわらず、メンバーに入ってくれたことがありました(下記画像の右側)。
次男の落合俊也さんは、高校時代を鳥取県立八頭高校で過ごし、柔道に取り組んでいました。成績も残していて、2019年中国高校柔道大会鳥取県予選では、100kg級で準優勝(鳥取県で2位)しています。
落合哲也さんだけではなく、長男も次男もスポーツで活躍していた過去がありました。
落合哲也(伯桜鵬)が父親と同じくらいお世話になった恩師・石浦先生
また、落合哲也さんには父親と同じくらいお世話になった恩人がいます。鳥取城北高校で相撲部の指導をしていた石浦外喜義(いしうらときよし)先生です。鳥取城北高校の校長先生をされています。
鳥取城北高校相撲部の卒部スピーチを担当した落合哲也さんは「僕の中では師匠と思って、先生と向き合ってきました。」「"先生にいいところを見せたい、褒めてもらいたい、日本一になって石浦先生を胴上げしたい" という想いで相撲に真剣に打ち込みました。」と語ったそうです。
3年間、真剣に指導してきた石浦外喜義さんは、生徒にこんなスピーチをしてもらって嬉しかったでしょう。
卒業してからも応援していた石浦外喜義さんは、落合哲也さんの新十両昇進を受けてインタビューに答えてくれたことがあります。「正直言って飛び上がるぐらいうれしかった」「上がれる時に上がって良かった」と笑顔を見せながら、ほっとした表情をしていました。
十両昇進が決定すると、落合哲也さんから石浦外喜義さんに報告の電話があったそうです。声の調子が悪く聞こえたそうで、石浦先生は「体調を崩さないようちゃんと休め」と声を掛けたのだとか。
これに対して落合哲也さんは「わかってます。徐々にやります、先生」と返したそうです。角界にたくさんの教え子を送り込んできた石浦先生ですが、中でも落合哲也さんは特別に素直な性格をしているとのこと。
才能がありながら、素直な性格を持ち合わせているなんて、将来が本当に楽しみです。ますます成長して伸びていきそうですよね!