バラエティで大活躍しているマツコデラックスさん。今でこそ「マツコデラックス」という芸名も定着していますけど、冷静に考えると変なあだ名ですよねww
また、マツコさんがここまで人気者になったのには、自分の内面との対話を、過去にえげつないくらいしてきたからです。
そういう過去を背負っているからこそ、深みのあるコメントができるのだと思います。
目次
マツコデラックスの本名は「松井貴博」!
マツコデラックスさんの本名は「松井貴博」です。これは、学生時代の卒業アルバムです。面影ありますねw
マツコさんは早い時期に、同性愛に目覚めまして、自覚もありました。
幼馴染の従兄弟に魅力を感じたことがきっかけです。
ゲイ雑誌の編集者兼ライターとして、社会人を始めたマツコさん。この頃から既にゲイであることは表に出していましたが、ここに至るまでには様々な葛藤があったようですね。
マツコデラックスの本名と親への複雑な気持ち、同性愛者と知られたくない…葛藤は母の一言であっけなく終わった
マツコさんの本名は「松井」ですので、これに女の子っぽい「子」をつけて「マツコ」にしました。
さらにゴージャス感を出すために「デラックス」を取ってつけたのが、マツコデラックスの由来だそうです。
マツコさんはオネエというより、「女装タレント」ということになっています。オネエと言われても、あんまりしっくりこないですよね。
このことからも、今までにいないキャラとしてブレイクしたことがわかります。
父親にゲイ雑誌の編集だといえなかった「出版関係の仕事」とごまかしていた
マツコさんのお父さんは、細くて小柄でマツコさんと正反対。
職業は建設会社のサラリーマンで、洗濯機や冷蔵庫が壊れても自分で修理して使うという、とても堅実な性格だった
だからといって過保護に育てられたわけではなく、マツコさんがゲイ雑誌の編集者を辞めて実家に帰ったときは、「働かないやつは水、飲むな!」と厳しく怒られた
ゲイ雑誌の編集であると説明できなかったことからも、自分の同性愛を父親に告白できなかった葛藤が伺えますね。
過去に引きこもっていたこともありますし、父親を心配させないためにも、ばりばりお金を稼ごうと考えていたそうです。
母親からの手紙に大笑い&大号泣したマツコ
マツコさんは見た目がすごく母親にそっくりなのだそう(笑)
しかし、それでも自分が男性が好きであることを母親にも打ち明けられませんでした。
それはテレビに出てからも。触れられないように、ずっと避けてテレビに出演し続けました。
人気が絶頂になってきた2011年のある日、母親から手紙が届きました。
腰の手術をした報告の手紙だったようですが、その一番最後には「5時の生放送楽しみにしています」とつづられていました。
それを読んで、マツコは爆笑するとともに大号泣しました。物心ついた時からずっと抱え込んでいた胸のつかえがとれた瞬間だったのでしょう。
女装してても、していなくても、母親はちゃんと見ていてくれたのですね。味方や仲間がいることに気がついたときの安堵感というのは、計り知れません。
それと同時に心強くなり、ますます力がみなぎってきて、仕事で爆発的な活躍をするようになったのでしょう。
マツコデラックスが同性愛に目覚めたきっかけと不登校になった話
現代では、同性愛への理解も多少進んできて、以前よりは風当たりも弱くなってきたとは思います。
それでも、自分が周りと違うこと、”普通”でないことに悩む大人はたくさんいるはずです。
それが子供なら、なおさらキツいと思います。
大人だって、誰にも言えないまま一生を終える人だっているのに、小学生程度の子供への精神的負担は相当なものであったと考えられます。
一時期は不登校になったこともありました。
「周りに合わせるのがつらくなっちゃったの。子供でいるのが疲れちゃって、学校の雰囲気が嫌になっちゃったの。」
小学校時代、短い間だったが不登校になったことがあったそうです。
その後、不登校から復帰。
不登校から復帰した理由も、
「なんかもう、いいやって思ったの。仲良くする必要もないし、ひとりで生きてりゃいいやって。」
「学校の先生に恵まれていた。先生に会いに行くっていうところがあった。」
普通の男子小学生なんて、カンチョーとかして喜んでるようなポンコツばっかりですよ(笑)
違う人間同士が、分かり合えるわけがないんだから仲良くする必要もない、っていうところまで、そんな幼い子供が行き着けないですよね、、
美容師から編集者&ライターへ転職!
メイクに興味があったマツコさんは美容の専門学校「東京マックス専門学校」へ進学します。そして、美容師免許を取得。
そのまま美容師として働いていましたが、ずっと違和感を感じていたそう。
1990年代初頭の頃には、ゲイのアクティビスト(行動主義者)に影響を受けます。
そして、自分のことをもっときちんと見直したいという想いから、表現に関わる仕事へ。1994年にゲイ雑誌「Badi」の編集者に転職したのでした。
マツコ「自分の出生じゃないけど、自分のことをちゃんと考えたことなかったなって思って。
もう一回、ちゃんと見直さなきゃって思って、モノを書いたりする方に行ったんだよね。」
当時は、本名の「松井貴博」名義で編集&ライター業をしていました。
この仕事自体は結構上手く行っていたようですが、4年でゲイ雑誌「Badi」の編集の仕事を辞めました。
20代後半で自分の内面に正面からぶつかる。実家へ戻り引きこもり生活へ突入する
編集の仕事も順調でしたし、美容師の資格も持っていたのですから、働こうと思えばどこかの会社で雇ってくれるような経歴はあります。
それでも、引きこもってしまったのは、内面との葛藤があったからだと思います。
雨戸は締めっぱなし、トイレの時間以外は全てベッドで過ごしたというマツコさん。
ある日、両足で立ち上がろうとしたらなんと10分もかかったそうです。
大好きなCoccoさんの歌を大音量でかけることで何とか持ちこたえていたというギリギリの精神状態
社会からの疎外感があったり、いくら社会に溶け込もうとしても、根本的に周りの人間とは違くて、やっぱり違和感が拭えない自分に対して、色々と考えてしまう部分があったのでしょう。
中村うさぎさんとの対談『人生張ってます』で喋りまくったことがきっかけで芽が出始める
そんな限界まで追い詰められていたマツコさんに舞い込んできたのが、ライトノベル作家・エッセイストで有名な中村うさぎさんからの対談申し込みでした。
中村うさぎさんは、マツコさんが編集したゲイ雑誌を読んで、マツコさんに強い興味を持ち、「人生張ってます」のゲストとしてアプローチしてきたのです。
マツコさんは、その対談で喋りまくったそうです(笑)約2年間も引きこもっていて、ストレスもたまっていたのでしょう。エネルギーをそこにぶちまけたのです。
中村うさぎさんはそこで「アンタは書くべき人間だ」とマツコにコメント。そして、コラムニストとしてマツコさんは再び、書く仕事を始めたのでした。
エッセイストとして活躍されていた中村うさぎさんには、マツコさんの圧倒的な才能を見抜く力があったのでしょうね。
美容師と編集者・ライターだけでなく、ゲイバーのママをしたり、ドカタや工場勤務など色んな職業を経験していることもあいまって、積んできた人生経験値は非常に豊富。
その経験値を燃料にして、ここから一気にマツコさんの人生にブーストがかかります。
「5時に夢中!」にコメンテーターとして出演!高すぎるトークスキルに注目が一気に集まる
自分が隠したいと思っている部分を、表にさらけ出すことは並大抵の精神力では無理です。しかし、それをさらけ出すことによって、多くの人からの信頼を集めました。
そんなことが出来たのは、自分が抱えてきた闇に正面から向き合った過去があったからだと思います。
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民放にいくつも冠番組を持つ、超絶売れっ子タレントへと変貌したのでした。