バラエティで日々、大活躍している柴田理恵さん。
既にご結婚されていまして、気になるのはその旦那さんのお名前です。
どうやら「晴太郎」という子供がいるとかいないとか…?
目次
柴田理恵の旦那の名前は柴田信幸!元舞台監督の一般人
柴田理恵さんは、1987年に結婚をされています。旦那さんはどんな人なのでしょうか。
旦那さんは元舞台監督だったそうなのですが、現在は一般人です。一緒に散歩する姿が週刊誌に撮られています。
そのため氏名は公表されていなかったのですが、ネット上では「信幸」さんという方であるといわれています。
劇団「WAHAHA本舗」の舞台監督だったという噂があります。
柴田家に婿養子に入ったということは判明してますので、苗字は「柴田」です。
柴田理恵と旦那・柴田信幸の結婚の決め手エピソード!30年前の逆プロポーズ
柴田理恵さんは、28歳のときに結婚しているので、結婚してからは30年ほどが経過しています。結構若くして結婚していたんですね!
柴田理恵さんと柴田信幸さんは、お付き合いの期間が長かったそうです。
なかなか結婚を匂わせもしない柴田信幸さんに対して、不安になりしびれを切らした柴田理恵さんが、「ねえ(結婚)どうすんの?」とド直球の質問をしたところ、「じゃあ結婚するか」とあっさり結婚することになりました。
そんなにパッと結婚へ進んでしまうということは、当時彼氏だった柴田信幸さんに迷いがなかったのでしょう。
後日、柴田理恵さんが「私から迫られたからあの場で結婚を急に決めたの?」と聞くと、「最初から決めてたから」と超ジェントルマンな回答をされたと語っていました。
旦那の柴田信幸さんが元舞台監督であることから、結婚式は舞台上で公開で行われてお客さんに見守られながら執り行われた…との噂もありますが、これはデマだと思われます。
もしかすると、結婚が決まった後に舞台で行ったサービス演出や小さなコント等々が、変な風に拡散してしまったのかもしれません。
柴田理恵と旦那・柴田信幸の馴れ初め
柴田理恵さんは「学生時代に出会った人と結婚した」と語っています。旦那の柴田信幸さんとは大学時代に出会っていて、明治大学の同級生でした。
柴田理恵さんは、興味のあった演劇を学ぶために明治大学文学部演劇学科に進学しました。演劇研究部に入り、学外でも舞台観劇をしつつ積極的に演劇に関わる学生生活を送っていました。
その頃に出会ったのが柴田信幸さんでした。結婚相手は、青春時代を共に過ごした方だったんですね。
舞台観劇のため、アメリカへ研究旅行をしに行き、ニューオリンズではガンボスープを一緒に食べて感動したとか。
異国の地で感動体験を一緒にするなんて、関係が親密にならないわけがありません。
学制時代に柴田理恵さんは柴田信幸さんとお付き合いを開始、そしてそのまま結婚、30年が経過しました。
交際のきっかけは、一体どうしてそんな事態になったのかまでは不明ですが、柴田理恵さんの嘔吐物を素手で受け止めてくれたことがあり、その優しさにときめいたからだそうです。
長い期間一緒にいたので、2人で積み重ねてきた歴史も多く、深い絆で結ばれた2人なのでしょう。
旦那・柴田信幸が婿入りした柴田理恵の実家が凄い!富山「宮田旅館」
柴田理恵さんの実家は、江戸時代から連綿と続いてきた老舗旅館です。富山県富山市八尾にある「宮田旅館」で、母方が代々継いできたそうです。
なんと江戸幕府の最後の将軍、徳川慶喜が隠居後に宿泊していた宿だそうです。
実家がこういった歴史のある家系であることから、柴田信幸さんは婿入りすることになったのでしょうね。
おわら風の盆祭りの特等席として知られる有名旅館
宮田旅館の四女(旧姓・宮田須美子さん)が、柴田理恵さんの母親です。宮田旅館を現在経営しているのは、柴田理恵さんの「いとこ」のご夫妻だそうです。
非常に有名な旅館で、柴田理恵さんがテレビで芸能活動をして売れる前から、富山の老舗旅館として名が知れていました。
固定のファンからも愛されている旅館で、30年以上通い続けている方もいらっしゃるほどです。
お祭りのある9月には、超満室になるほどの人気旅館です。旅館を運営している人たちの自宅までを解放するほどの人数が集まるそうです。
宮田旅館は「おわら風の盆」が通る道に面しています。
そのため、通りに面している2階の部屋から、ゆっくりと誰にも邪魔されずに鑑賞できるので「特等席の旅館」としても知られています。
高橋治さんの小説『風の盆恋歌』で、一躍「おわら風の盆」が全国的に有名になったことも相まって、宮田旅館の人気もますますアップしました。
実家の血筋が凄く良くて羨ましい限りですね。
実家が長くお客さんに愛されてきた旅館だったからこそ、柴田理恵さんも小さい頃から「お客さんがどう思うか?」を自然と考えるクセがついていたそう。
お客さんを大切にするからこそ、自分も人から求められる人間になれるということを、幼少期から体得していたのでしょう。
こういった育ちによって、芸能界や舞台で長く活躍できる素養や基礎が身についたのではないかと思います。
柴田理恵と旦那・柴田信幸の間には清太郎という子供(愛犬)がいる
柴田理恵さんには「晴太郎(はるたろう)」という名前の子供がいるらしいとの噂でしたが、「晴太郎」は愛犬のお名前でした。
晴太郎は元々捨て犬でした。
当初は仕事が忙しい事、飲み歩くことも多いことから戸惑ったものの、旦那・柴田信幸さんと相談し、最後まで責任をもって飼う事を決断したそうです。
きっと本当の子供のように可愛がっているのでしょうね!
晴太郎は、一緒にお仕事をしていた加藤晴彦さんから一文字「晴」を貰って命名したそうです。
先天性の病気で胴体と後ろ左足がくっついていた晴太郎でしたが、手術を乗り越え、柴田夫妻の懸命なお世話によって、すっかり元気に暮らせるようになりました。
柴田理恵さんは、晴太郎が柴田家に来てくれたことで夫婦の在り方が変わったと語っています。
従来は自立した2人が同居生活をしているという空気感だったものが、晴太郎を中心に予定を組んだり、情報を共有したりすることで、みんなが一体となり、初めて「家族」を感じることができたそうです。
晴太郎はとても賢く、空気が読める子でもあるので、晴太郎の前では夫婦喧嘩も遠慮してしないようになったとのこと。
まるで「子供の前で喧嘩はやめよう」と決めている夫婦のようです。
本当の子供のように大事にしており、老齢を迎えている晴太郎のために、特注の車いすをオーダーして歩けなくなった時に備えて、練習までしていたそうです。
そんな晴太郎くんは、2019年に柴田夫婦に看取られながら、虹の橋を渡りました。14歳の大往生でした。
柴田理恵さんと柴田信幸さんの間には、人間の子供はいません。柴田理恵さんは芸能界でのお仕事が忙しいですし、子供を作るタイミングがなかったのかもしれません。
仮に産んだとしても、育児の時間を確保するのも難しそうですよね。
また、柴田理恵さんは過去に子宮筋腫を患っています。もしかすると婦人系の病気が原因で、不妊だったことから産まない選択をしたという可能性も考えられます。
子宮筋腫が判明したのは、結婚から10年後の38歳で受けた人間ドッグでした。40歳を過ぎる頃には貧血もひどくなり、さらに45歳頃には筋腫が増加。
筋腫が大きく増えたことで、柴田理恵さんの子宮は妊娠20週の女性と同じ大きさにまで膨張してしまったそうです。手術を受けた際に、おそらく妊娠を諦めたのだろうと推測します。
子宮筋腫が分かってからどんどん悪化しているのに、最終的に摘出手術をしたのが45歳過ぎてからだったことを考えると、その当時はまだ妊娠の可能性を捨てておらず、ギリギリまで粘っていたのかもしれません。
旦那の柴田信幸さんとともに、仲良い夫婦として今までやってきており、子供がいなくても幸せな毎日を送っているのでしょう。
柴田理恵と旦那・柴田信幸の離婚説
一部で、柴田理恵さんと旦那の柴田信幸さんが離婚をしたとの噂があり、本当は不仲ではないかと言われることがあるようですが、根拠は何もなくガセネタだと思われます。
明確な情報は何もありませんし、今も夫婦円満で仲良く暮らしているはずです。
柴田理恵の旦那・柴田信幸も創価学会員なのか?
柴田理恵さんが創価学会員であることは有名な話ですよね。劇団「WAHAHA本舗」に入団した後、同劇団の久本雅美さんに誘われて1987年に入信しています。
創価学会員の中でも熱心に活動していて、芸術部中央委員という役職が付いているそうです。久本雅美さんと一緒に、公明党議員の選挙活動を応援していたこともあります。
柴田理恵さんと旦那の柴田信幸さんはいずれも創価学会員で、本当は創価学会の集会やイベントを通じて知り合ったのではないかと噂をされていることがあります。
しかし、柴田理恵さんが入信するきっかけとなった久本雅美さんは、大学卒業後に立ち上げた「WAHAHA本舗」で出会っており、旦那・柴田信幸さんとは在学中に知り合っていることから時系列的に矛盾しています。
1977~1981年 | 明治大学在学期間 この間に柴田信幸と出会う |
1984年 | 久本雅美らと一緒に WAHAHA本舗立ち上げ |
1987年 | 柴田理恵と柴田信幸が結婚 |
1987年 | 柴田理恵が創価学会に入会 |
時系列を整理すると、上記の表の通りになります。柴田信幸さんと出会った後に、入信のきっかけとなった久本雅美さんと出会っていると考えられます。
そのため、柴田理恵さんと柴田信幸さんが創価学会内で知り合ったとする説は間違っていると思われます。
ただし、1987年に柴田理恵さんが入会した時に、旦那・柴田信幸さんも一緒に夫婦で入会したのか入会していないのかまでは情報が無く、分かりません。
柴田理恵さんは結構熱心な学会信者だそうなので、身内である旦那さんが勧誘されていないわけはないだろうと想像してしまいます。
少なくとも、入会しないかと声をかけられたことはあるでしょうね。
旦那・柴田信幸は妥協して柴田理恵を選んだの?
旦那の柴田信幸さんは、嫁選びに「妥協しすぎ」と世間からいわれていることがあります。
全く失礼な話ではありますが、柴田理恵さんを不細工枠として勝手に認識し、柴田理恵さんと結婚するなんて本当に勇気のある人だと賞賛されていることすらあります。
今でこそ「女芸人」はたくさんいて当たり前の存在ですが、昭和の当時は珍しく、体を張ってヨゴレ仕事をしている女を、誰が嫁に貰うんだと思われていた時代もありました。
おばさんキャラクターを演じていることもあり、尚更そうやって思われてしまうのでしょう。
18歳の頃の写真は正直おもしろすぎますが、真面目に撮った20歳の頃の成人式写真は、普通に綺麗な人だと思います。
目元は特に綺麗で、葉月里緒奈さんに似てるといわれることもあります。
強烈なキャラクターに引っ張られがちですが、容姿は別に悪くないですし、眼鏡を外せばむしろ美人な要素も多分にあります。
そもそも柴田信幸さんは、柴田理恵さんがお笑いを本格的に始める前に出会って、交際を開始しています。
妥協して結婚したなど失礼な話で、きっと純粋に好きになったから付き合って、そして結婚したのだと思われます。
今後も末永く、幸せでいて欲しいですね!