今田耕司の過酷な高校時代!脱走と定時制進学の裏話

お笑いタレントの今田耕司さんは、定時制高校を卒業しています。

しかし、その前に通っていた全寮制の高校は非常に厳しく、あまりの辛さに脱走を試みたというエピソードがあります。

今回は、そんな今田さんの高校時代についてまとめました。

今田耕司の高校時代と日生学園第一高校

  • 高校はどこ?スパルタ高校から転校
  • 進学のきっかけはラーメン屋の店長の一言
  • 過酷すぎた日生学園第一高校の生活と脱走
  • ダウンタウン浜田雅功も同じ高校だった!?

高校はどこ?スパルタ高校から転校

今田耕司さんは、最初に三重県の日生学園第一高校(現在の桜丘高校)に入学しました。

しかし、この学校は極めて厳しい全寮制であり、生活に耐えられず中途退学。

その後、大阪府の清風高校定時制に編入し、卒業しています。

清風高校は、大阪府内でも優秀な私立中高一貫校で、全日制普通科の偏差値は62~71と高いレベルです。

ただし、定時制の方は偏差値が公表されていませんが、当時の日生学園第一高校(偏差値42)からの編入が可能だったことから、おそらく40前後ではないかと推測されます。

進学のきっかけはラーメン屋の店長の一言

日生学園第一高校を退学後、今田さんはラーメン屋でアルバイトをしていました。

当時は「日本一若いラーメン屋の店長になる」ことを目標にしていたそうです。

しかし、店長から「高校だけは卒業しておけ」と言われたことがきっかけで、定時制に編入することを決めました。

憧れの店長の言葉が心に響いたのでしょう。

同じ清風高校出身の芸能人には、元体操選手の池谷直樹さんや、歌手の中西保志さんがいます。

過酷すぎた日生学園第一高校の生活と脱走

出典:POPEYE

日生学園第一高校は、日本一厳しいとも言われた全寮制のスパルタ校でした。

その環境の過酷さは「少年院」とも例えられるほどで、規律の厳しさが話題になったこともあります。

日生学園第一高校の生活ルール

  • 毎朝4時半起床、2kmのマラソン
  • 放課後は10kmマラソンと強制掃除
  • 便器を素手で洗う
  • 外出禁止
  • 水を飲むのも制限される
  • 甘いものは外部の協力者から入手するしかない
  • 家族からの差し入れは上級生に献上
  • 修学旅行や遠足なし

このような環境の中、今田さんは1年生のときに2度の脱走を試みました。

脱走の詳細

1度目の脱走は、途中で見つかり、連れ戻されてしまい失敗に終わります。

2度目の脱走で成功したそうです。2度目の脱走詳細は下記です。

  • 1階のトイレの窓から脱出
  • 追手から逃れるために草むらに隠れる
  • 最寄駅を避け、山を2つ超えて野宿
  • 目的の駅に到着後も警戒し、しばらく身を潜める
  • 電車に乗り込み、脱走仲間と手を取り合って成功を喜ぶ

このエピソードは『水曜日のダウンタウン』や『アメトーーク!』の定時制高校芸人の回でも語られ、スタジオの笑いを誘いましたが、実際に体験するとなると過酷すぎます。

同じ高校にダウンタウン浜田雅功も

驚くことに、ダウンタウンの浜田雅功さんも日生学園出身です。

そして、今田さんと同じように脱走を試みたそうです。

しかし、浜田さんは脱走に失敗し、連れ戻されてしまいました。

それでも最後まで通い、無事に卒業しています。

さすがの根性ですね。

今田耕司の高校時代と定時制の学園生活

  • 高校時代エピソード①30歳のスーパー店長
  • 高校時代エピソード②看護師のおばさんとヤンキーの喧嘩
  • 高校卒業後の進路
  • 知られざる「ダブルホルモンズ」時代

高校時代エピソード①30歳のスーパー店長

定時制高校にはさまざまな背景を持つ生徒が集まるため、個性的なクラスメイトが多く、数々の面白いエピソードが生まれました。

クラスには30歳のスーパーの店長が在籍していたそうです。

ある日、トイレでタバコの煙が漂っているのを発見。

誰が吸っているのか覗いてみると、なんと店長がこっそり吸っていたそうです。

年齢的には問題ないため、今田さんが「そんなところで吸わずに、教室で吸ってくださいよ!」と言うと、店長は「ルールやから…」と優しく返答。

大人の対応に、今田さんは感心したそうです。

高校時代エピソード②看護師のおばさんとヤンキーの喧嘩

ある日、看護師のおばさんとヤンキーが「学校に漬物を持ってくるな!」という理由で大喧嘩しました。

ヤンキーが「漬物なんか持ってくるな!」と怒鳴ると、看護師のおばさんは「しゃーないやないの、晩ご飯なんやねんから!」と応戦。

このやりとりを見た今田さんは、「お母さんってすごいな」と思ったそうです。

高校卒業後の進路

高校卒業後、今田さんは寿司職人か美容師の専門学校に進むことを考えていました。

しかし、学費が高額だったことや、肌が弱く水を扱う職業に向いていないとアドバイスを受けたため、断念しました。

その後、1985年に吉本総合芸能学院(NSC)4期生として入学。

当時の入学金は5万円だったそうです。

知られざる「ダブルホルモンズ」時代

意外と知られていませんが、NSC入学後はほんこんさんと「ダブルホルモンズ」というコンビを組んで活動していました。

今田さんはツッコミ担当でしたが、ネタはほぼほんこんさんが作っていたそうです。

その後、コンビを解散し、ピン芸人として活動をスタート。

1986年に劇場デビューを果たし、吉本新喜劇で活躍。

その後、バラエティ番組に進出し、現在の活躍へとつながっていきました。

今田耕司さんの高校時代は、厳しすぎる日生学園第一高校からの脱走劇、そして清風高校定時制でのユニークな学園生活という、まさに波乱万丈のエピソードに満ちています。

過酷な環境を乗り越えたからこそ、今田さんの現在の活躍があるのかもしれません。

今田耕司の高校時代まとめ

  • 今田耕司は日生学園第一高校(現・桜丘高校)に入学するも退学
  • 日生学園は超スパルタ全寮制で「少年院のよう」と言われていた
  • 1年生の時に2度脱走を試み、2回目で成功し退学
  • 退学後はラーメン屋でアルバイトし、店長の助言で定時制高校へ編入
  • 清風高校定時制を卒業し、NSCへ進学
  • ダウンタウン浜田雅功も日生学園出身で、脱走を試みるも失敗
  • 日生学園では毎朝4時半起床、10kmマラソン、便器掃除など過酷な生活
  • 定時制高校では30歳のスーパー店長や看護師のおばさんが同級生
  • ヤンキーと看護師のおばさんが漬物をめぐり大喧嘩したことがある
  • 高校卒業後は寿司職人か美容師を目指すも断念
  • 1985年にNSC4期生として入学、当時の入学金は5万円
  • ほんこんと「ダブルホルモンズ」というコンビを組んでいた
  • コンビ解散後にピン芸人として活躍し、吉本新喜劇にも出演
  • 過酷な高校時代の経験が現在のバラエティ番組での活躍につながる
  • 波乱万丈の学生時代を経て、お笑い界で成功を収めた