「チャリで来た。」の卍なプリクラは、なぜ有名になったのでしょうか?
一説によると、勝手にSNSにUPされてしまってそのまま拡散されてしまい、本人たちはなす術がなかったらしいのですが、その真相が気になるところ。
もはや進撃の巨人にすらコラ画像を作られるほど、愛されているネットミームです。
その後、別のいじめ事件で全く関係無いのに犯人と勘違いされて拡散されてしまったこともあり、ますます有名になってしまいました。
本人たちは最近、大人になった姿でインタビューに色々と出てきたりしてるんですよね。彼らの現在が気になる人も多いようです。これだけネット上の有名人になってしまったら、就職で大変な思いをしたりしなかったんでしょうか。実は、こういう現実的な話もインタビューで語られています。
チャリで来た。の歴史をすべて、ここにしたためておきました。
目次
「チャリで来た。」とは【卍】
各所で未だに愛されている「チャリで来た。」ですが、これは港南のヤンキー中学生のプリクラです。卍な感じが漂いますね。
メンチを切った顔とポーズをしっかり卍にキメているにもかかわらず、書き込まれたコメントが「チャリで来た。」というどうでもいい報告で、しかも字が下手というシュールさがウケて、あっという間に拡散されてしまいました。
「港南最強」もあります
こちらの「港南最強」も愛されています。
港南から二俣川まで「チャリで来た」
当時、中学1年生だった卍たちは「ガルフィー」などのヤンキー系な服装への憧れがありました。
そのため、港南から二俣川まで1時間もかけてチャリを一生懸命漕いで買いに来たのでした。そんなタイミングでの1枚であったため、「チャリで来た。」とそのまま書いたのです。
▼港南から二俣川までのルート(参考)
まさかそんな軽い気持ちで撮り、軽い気持ちで書いた「チャリで来た。」がここまで有名になってしまうとは、当時は思っても見なかったでしょう。
ちなみになぜチャリで来たのか
当時「改チャリ(改造チャリ)」が彼らの間で流行っていました。改チャリは、ハンドルを上げたり後ろの荷物置きを曲げたりしたものです。
せっかく改チャリを持っていたら、乗り回したくなるのが男の子です。港南から江ノ島まで2時間以上かけて行ってみたり、改チャリライフを満喫していたようです。
電車に大人しく乗るのではなくて、改造チャリを乗り回すのがカッコイイという感じだったんでしょうね。さすが男子中学生です、そういう時期もあります。
そのいつもの流れで、今日もチャリで来たので「チャリで来た」と書いたそうです。落書きの制限時間も短くて、焦って咄嗟に書いたと本人が後に語っています。
本当にチャリで来たから「チャリで来た」と書いただけだったんですね。それがここまで拡散されて有名人になってしまうとは、さすがに本人たちも、思っていなかったそうです。
「チャリで来た。」はなぜ有名になったのか
「チャリで来た。」はなぜここまで有名になってしまったのでしょうか。
なぜ有名に①前略プロフィールにアップした画像が拡散された
この「チャリで来た。」がなぜ有名になってしまったのかといえば、このプリクラの左に写っている子がネットにアップしてしまったからなのです。
ネットにアップしたといっても、「前略プロフィール」や「モバゲー」のプロフィール画像として載せた程度でした。
そしてこれを偶然見つけたネット民が面白がって2ちゃんねるに貼り、それが瞬く間に拡散してしまいました。
そのため、確かに前略プロフィールにアップしてしまった彼が悪いものの、本当の元凶はそれを2ちゃんねるに面白がって勝手に転載した人物ということになります。転載した人物までは不明ですが、おそらく何ら彼らと関係の無い人物だったと思われます。
なぜ有名に②大津いじめ事件で再拡散され、さらに有名に
「チャリで来た」がなぜ有名になったのか、もう一つの原因にデヴィ夫人のブログがあります(2012年頃)。
大津のいじめ事件に関する意見をデヴィ夫人が自身のブログで発信したのですが、その加害者とされる人物の画像に「チャリで来た」を誤って載せてしまったのです。
こちらが当時の時系列です。
- デヴィ夫人ブログ(2012/7/10付 大津いじめ自殺事件の記事)が投稿され、いじめたとされる生徒・家族の実名含めた個人情報と写真が掲載された
- 読者からの指摘(掲載された写真に全くの赤の他人のものがある)があった
- 一部内容・写真が取り下げられた
- アメブロ運営により、記事自体が閲覧禁止にされた
- いじめたとされる生徒・家族の実名がイニシャル表記に変更され、再度閲覧可能になった
ブログ内容については触れませんが、大津事件の加害少年Cの画像として、ネット民が作ったチャリで来たのコラ画像を掲載してしまったようです。
ネット民のデマまとめをデヴィ夫人はそのまま信じて、画像を載せてしまったようです。
後に、Amebaはこの記事を閲覧禁止処置を取りました。画像を消し、名前をイニシャルに変えて再び閲覧可能になったのでした。
この一連の出来事がネタとなり、チャリで来たはさらに有名になってしまったのでした。
「チャリで来た。」の現在!熊田勇太さん(プリクラの右の人)
チャリで来たプリクラは、10年以上前のものです。
未だにネット上で生きていて、しかもコラ画像が作られ続けていると思うと、ネットって怖いなと思い知らされます。
一生消せないというのはこういうことなのですね。あのプリクラに映っていた「熊田勇太」さんがインタビューに答えた記事があります。熊田勇太さんは、プリクラの右側の人物で「チャリで来た。」の文字を書いた本人です。
「”私の顔を多くの知らない人が知っている”という怖さ」があり、イベントで声をかけられたり、今現在勤められている会社の社長も知っていたそうです。笑
当時は嫌だったものの、もはや止められないですし、消すこともできないので、今となっては本当にどうでもよいというか、逆に清々しく思っているそうです。
知らない人が自分の顔を知っているっていうのは怖いですよね。
様々なYouTuberの動画に出演
熊田勇太さんはもう潔く露出しちゃってて、実は様々なネット記事や雑誌、そしてYoutubeにも登場しています。
結構、色んなYouTuberとコラボしていて面白いです。
自転車保険のイメージキャラクター
LINEの自転車保険の動画CMにも出演していました。笑
まさか仕事につながるなんて!
テレビ出演「激レアさんを連れてきた」
「激レアさんを連れてきた」のテレビ出演まで果たしています。このオファーが来たときは、「まさか」と思ったでしょう。笑
しかし、引き受けて堂々とテレビに出てくるあたり、本当に清々しいです。
ちなみにYouTuberのバキ童さんは、例のコメントがネットミーム化して、生きづらくなっていたところに、上記の「チャリで来た」の人がテレビに出演するというのを知って、勇気を貰って自分も表に出てしまおうと覚悟出来たのだそうです。
かなり前向きに多くの方々を勇気づけていて、もはや素晴らしい活動です。
熊田勇太さんは現在サラリーマン
調理師の専門学校に入った後、フランスに行き、飲食店で仕事をしていたそうです。
その後、渋谷でのイベント業を経て、現在はサラリーマンでエリアマネージャーをしているそうです。
自分の知らないところで、自分が拡散され続けている状況が昔は嫌だったそうですが、サラリーマンになった今では有名なことを逆に利用できるので、役立つことも多いのだとか。有名なことをプラスに転換して利用しているあたり、かなり仕事出来そう。
一周まわって、今ではいいことだったと思っているそうです。
ちなみに熊田勇太さんの他にも、2人が雑誌の取材に答えたことがあります。
五島翔太さんと杉船考太さんです。杉船さんはだいぶ変わった印象がありますけど、五島さんは面影がかなりあります。
現状を前向きに捉えて利用していこうとしていて、応援したくなります。