キャシー中島さんの娘・長女の夫が再婚したらしいという話を聞いたので、その真相を調べてみました。

キャシー中島さんの娘で長女の勝野七奈美(ななみ)さんは、肺がんで既に亡くなっています。享年29歳(2008年)で早すぎる死でした。

娘婿として長女を支えてくれた夫・猪田武さんは、どんな方なのでしょうか。

キャシー中島の娘(長女)・勝野七奈美

出典:kathymom.com

キャシー中島さんは勝野洋さんと結婚され、1979年11月19日に娘(長女)の勝野七奈美さんを出産しています。

父親「六洋」と母親「八千代」の間の数字、「七」の文字をつかって名付けられた名前です。両親の愛情を感じる命名です。

シンガーソングライターとして活躍、NANAMIの名前でジュエリーデザイナーとしても活躍しました。

残念ながら、2009年2月から咳が止まらない症状に悩まされ、検査を受けたところ肺癌が発覚。治療に専念するも、同年7月には亡くなってしまいました。

1979年生まれなので、享年29歳。早すぎる死でした。

キャシー中島の娘(長女)・勝野七奈美には旦那がいた

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キャシー中島さんの娘・勝野七奈美さんには、旦那がいました。5年間の交際を経て、2008年11月にヒップホップダンサーの猪田武さんと結婚しました。

幸せいっぱいの結婚生活だったのですが、勝野七奈美さんに2009年2月肺がんが見つかります。結婚してから、3ヶ月のことです。

新婚生活真っただ中のタイミングでの肺癌発覚、しかも5年生存率が極めて低く、厳しい状態での肺癌でした。結局5ヶ月後に亡くなってしまい、夫の猪田武さんは深い悲しみにつつまれたはずです。

喪主を務めた夫の猪田武

出典:ORICON NEWS

葬儀・告別式は新宿の千日谷会堂で行われています。喪主を務めたのは夫の猪田武さんでした。

七奈美、太陽のような人」と妻に呼びかけ、「あなたの人生に奇跡を見ました。そんな七奈美を心底愛しています。最後に永遠にありがとう」と最後の言葉を絞り出しました。

涙で声を詰まらせながら感謝の気持ちを述べる夫・猪田武さんの姿に、参列者も涙していたそうです。

キャシー中島の娘・勝野七奈美の夫・猪田武が再婚?

勝野七奈美さんが亡くなってから、その後、夫の猪田武さんが再婚したらしいとの噂があったのですが、調査してみたところ、そんな事実はありませんでした。おそらくガセだと思います。

他にも、猪田武さんが未だ再婚していないであろうと考えられる事情が複数あります。というのも、猪田さんは今も勝野家と深く関わって事業を進めているからです。

猪田武へキャシー中島の感謝

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キャシー中島さんのブログでは、娘の夫・猪田武さんに対する感謝の気持ちが度々述べられています。

今でも遊びに行ったり、食事に一緒に行っているようで、「義理の息子、武ちゃんが会場に来てくれました!本牧出身の武ちゃん、熱心に展示を見ていました!」といったコメントも見られ、とても大切にされていることがわかります。

「武ちゃんは私達ファミリーの一員であり大切な人です!武ちゃんが一人になりたいと言うまで、私の義理の息子でいてほしい。」「猪田武は勝野家には必要な人です。だから、一緒にいるのが自然なのです。」といったキャシー中島さんの発言もあり、"義理の息子" という言葉を使っていることからも、家族として感謝の気持ちを感じていることが伺えます。

猪田武の再婚に対するキャシー中島の気持ち

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猪田武さんを「義理の息子」として大切にしつつも、彼の人生を縛り続けるつもりがないことも明言しています。

勝野七奈美さんが亡くなった翌月、2009年3月のブログには「武ちゃんに聞きました、あなたの人生よ、まだ若いのだから 次に向かって、歩き出していいのよと、武ちゃんの返事はここに書く必要はないでしょう。とても大切な言葉でした。私達家族の宝です」と記載されていました。

はっきりとは書いていませんが、「次に向かって歩き出していいのよ」というのは、遠慮せずにいい恋が見つかったら再婚してもいいんだよといったメッセージかと思います。

キャシー中島さんの愛を感じる言葉です。

逆に、既に再婚をしていたらこういう言葉って出てこないでしょうし、ビジネス上の関係性を続けていくことも難しくなるのではないかと考えられます。

その後、2013年頃まで猪田武さんはブログを運営していましたが、現在では休止していますのでプライベートまでは把握できません。

おそらくですが、表に情報が出てきていないので、現在まで再婚はしていないのではないかと思われます。

キャシー中島の娘・勝野七奈美の夫・猪田武の現在

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勝野七奈美さんの夫・猪田武さんは、現在何をしているのでしょうか。

共同で会社(Manna Island)を運営している

出典:SalesNow DB

キャシー中島さんと猪田武さんは、2007年に「Manna Island(マナアイランド)」を設立しています。

勝野七奈美さんがデザイナーとして活動していたことや、天然石やサンゴなどの素材を使ったハンドメイドアクセサリーを制作して販売していたことから、その想いを受け継ぐ形で事業化をしたようです。

元々は南青山で路面店販売をしていたそうですが、三軒茶屋へ移転し、猪田武さんが代表取締役として株式会社化しています。

勝野七奈美さんが癌闘病をしていたことから、会社の事業内容には、がん啓発のためのチャリティー事業も加えられました。

株式会社マナアイランドは現在も事業が継続されているので、猪田武さんはキャシー中島ファミリーと未だに深い交流があることが伺えます。

これだけ深く関わっていたら、再婚をしているとは考えにくいというのが正直なところです。

出典:武のブログ

2013年頃まで更新していたブログでは、寄付金をがん研究の団体に渡している様子が掲載されていました。

奥様の勝野七奈美さんの遺志を継いで、世の中の癌患者を救うために、日々精力的に活動している様子がわかります。

キャシー中島の娘・勝野七奈美はタバコを吸ってなかったが肺癌に

新婚旅行先のハワイで咳が止まらない症状に悩まされた勝野七奈美さんは、検査の結果、肺癌(小細胞肺癌)が見つかってしまいました。

小細胞肺癌(しょうさいぼうはいがん)というのは、喫煙者に多いタイプの癌です。かなり手強い癌で、増殖が速く、転移もしやすいです。

薬物療法や放射線療法に対する効果が高い癌ではあるものの、進行が特に早いため、5年後の生存率は5~10%という極めて低い病気です。

肺癌の中でも、喫煙者に多い癌になったということで、勝野七奈美さんがタバコを吸っていたのか気になった方も多いようですが、彼女は一切タバコを吸っていませんでした。

カテーテル治療や重粒子線・陽子治療など様々な治療を行いましたが、2009年7月7日に帰らぬ人となってしまいました。

治療に対する勝野七奈美の前向きなエピソード

出典:J CASTニュース

生存率はわずは6%と聞かされた勝野七奈美さんでしたが、悲観的にならず、前向きに治療に取り組みました。医師からは生存率が「6%」と宣告されています。

しかし、勝野七奈美さんはあくまでも前向きに「その6%に入ればいいんでしょ」「治らなくても、がんに負けなければいいんだ」と言い聞かせ、様々な治療に取り組んでいきました。

身体の様々な部位に癌は転移してしまい、進行を食い止めることは出来ずに亡くなってしまいましたが、生きることに対する前向きな姿勢に周囲の方すら励まされたことでしょう。

やれる治療を全てやれたことで、残された方々の後悔はある程度軽減されたと思います。

それにしても勝野七奈美さんは喫煙者ではなかったのに、肺癌の中でも一番最悪な小細胞癌になってしまうとは、運命は残酷です。

肺癌の判明経緯

出典:Amebaブログ

元々2009年1月末に具合が悪くなり、さらに年末年始という時期もあって、小さな病院での診療をするにとどまりました。

気管支炎だと診断され、その薬を片手に新婚旅行へ出かけました。結婚式もあったし、疲れがたまっているのだろうと思ってそのままにしておいたのですが、咳は治るどころか日に日に悪化。

旅行から帰国後に池尻の大きな大学病院で検査を受けたところ、肺炎と診断されました。

本人たちも気管支炎のまま旅行なんてしたから、肺炎に進行してしまった位にしかこの時は考えて居なかっただろうと思います。まさかこれが「肺がん」だったなんて、その頃は知る由もなかったわけです。

当然、肺炎の薬で良くなるわけもなく、今度は鎌倉の病院で精密検査を受けました。そして、ついに「肺がん」であることが発覚したのです。

基本的に、単なる肺癌であれば早期発見・早期治療すれば8割は回復すると言われる癌です。そのため、肺癌だといわれても、キャシー中島さん含め本人も希望は捨てずにいたと思われます。

しかしその後、国立がんセンターで再度検査を進めると、肺がんの中でも進行が早くて最悪な「小細胞肺がん」であることが判明したのです。

この日のことについて、キャシー中島さんはブログでこのように語っています。

「その日は…(略)…次の日が千秋楽でしたので、誰にも言えませんでした。」「もっと早くがんということが分かっていたら、こんな結末にならなかったのでしょうか。」「本当に本当にがんの中でも、小細胞がんは最悪ながんです。私はただ側で見ていることしか出来ない母親でした。

悲痛な思いを述べています。

小細胞がんが最悪といわれるのはなぜかというと、転移が早すぎて、発見される頃には既に末期になっていることが多いからです。

手術では取り除ききれないレベルで全身に転移してしまってから、ようやく発見されるということです。見つかってからでは、どうしようもないのです…。

過酷な闘病生活

勝野七奈美さんの闘病生活についても、キャシー中島さんのブログに記載されていました。

食べたいのに食べられなかったね。のどが痛くて痛くて がまんしたよね。最後に食べたのがピオーネ!それも一粒の半分をやっと。」「今日は8回しか泣いてないよ、前進だね。ななみ!ママを褒めてね」といった娘への想いがとめどなく記載されており、読んでいるこちらまで少々辛くなってくる内容でした。

相当過酷な闘病生活だったことが伺えます。

結婚式でのドレス姿の美しさと、厳しい闘病中の勝野七奈美さんの姿との落差も激しく、母親のキャシー中島さんはかなり精神的に辛い思いをされたことと思います。

受け止めきれる量の不幸ではないかもしれません。

そして、亡くなった後には結婚式での娘の姿を思い出して「あまりにもななみが美しかったから、神様がそばに置きたくなって連れて行ったのかもしれない…」といったことをコメントしていました。

また、10年後のブログにはこのような言葉を残しています。

母親の娘への愛が未だに感じられる悲しい文章です。

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