『千と千尋の神隠し』の中でも特に印象的なキャラクターであるカオナシ。
独特な見た目と不気味な振る舞いながらも、多くのファンに愛されています。
その正体や存在意義については、様々な解釈があり、特に「欲望の象徴」や「人間の闇の側面」として語られることが多いです。
宮崎駿さんみよれば、元々の初期構想の時点でカオナシの登場予定はなかったそうです。
存在の意味や必要性は後付けだったとか。
本記事では、カオナシの本当の意味について深掘りしてみます。
目次
カオナシの正体の秘密と裏設定を徹底調査
- 正体は「欲望」の具現化?
- 正体=サタン?悪魔やサタンの象徴
- 宮崎駿氏「カオナシは誰の心にも存在する」
- 異世界から来た存在?
- 正体は幽霊的存在?妖怪の伝承
- 正体は現代の若者の象徴
- 米林宏昌監督をモデルにしてる?
正体は「欲望」の具現化?
カオナシの正体としてよく語られるのが、「欲望」の象徴であるという説です。
作中では、カオナシが湯屋の従業員に砂金を差し出し、それを受け取った者たちが次々に飲み込まれる場面があります。
これは、人が欲に目がくらみ、理性を失ってしまう様子を表しているのではないでしょうか。
また、カオナシは千尋に近づこうとする際、彼女を金で誘惑します。
しかし千尋はそれに屈することなく、結果としてカオナシは暴走することになります。
このシーンは、欲望に支配された者の末路を暗示しているとも言えるでしょう。
宗教的な視点から見ると、欲に打ち勝つことは悟りへの道とも言えます。
例えば、仏教では悟りを開くためには「欲」を捨てる必要があるとされており、キリスト教でも悪魔の誘惑を退けることが信仰の試練とされています。
千尋がカオナシの誘惑を断ち切ることは、精神的成長の過程とも解釈できるのです。
正体=サタン?悪魔やサタンの象徴
カオナシを「悪魔」や「サタン」の象徴とする考察もあります。
その根拠の一つが、物語の後半でカオナシが千尋と共に電車に乗るシーンです。
ここで一瞬だけ「サタン」という文字が映ると言われており、制作者が意図的にそういった要素を忍ばせた可能性があります。
さらに、カオナシの行動も悪魔的な側面を持っています。
例えば、千尋に対ししつこく付きまとい、彼女を自分のものにしようとする様子は、誘惑の悪魔のようです。
また、自分を受け入れてくれる存在を求める一方で、怒りが爆発すると制御が効かなくなる姿は、人間の持つ衝動的な側面を表現しているとも言えるでしょう。
千尋が最終的にカオナシの誘惑に打ち勝ち、彼を連れて湯屋を去る場面は、試練を乗り越え成長する物語の象徴的なシーンとも捉えられます。
銭婆に会いに行くのに降りる駅は「6つ目の駅」です。「6」は悪魔の数字と言われており、ここでも悪魔を連想させる要素があります。
さらに聖書の中では、サタンが最後に「底知れぬところ」に辿り着くと記載されています。
千と千尋の神隠しの作品中に登場する「沼の底駅」という名前の由来が、聖書の話から来ていると考えることもできます。
宮崎駿氏「カオナシは誰の心にも存在する」
宮崎監督の「カオナシは誰の心にも存在する」というコメントから、カオナシは居場所のない不安定な存在であると考察されています。
作中では、カオナシが「さみしー」と口にする場面があり、千尋に故郷や親について聞かれた際に困惑していました。
これは、自分自身の居場所がなく、不安定な存在であることを示しているのではないでしょうか。
また、物語の終盤で銭婆に「ここにいなさい」と言われたとき、カオナシが嬉しそうな表情を浮かべたシーンがあります。
これは、ようやく自分の居場所を見つけることができた瞬間だったと考えられます。
宮崎監督は、カオナシについて「人を好きになったあまりストーカー的行為に出ることや、耐えられない寂しさ、抑えきれない感情の発露は、すべての人間が持つ本質である」と語っています。
つまり、カオナシは世代を問わず、人間が持つ「心の闇」の象徴であると言えるでしょう。
異世界から来た存在?
カオナシについては、ジブリ公式の映画パンフレットにもヒントが隠されています。
そこには「湯屋のある世界とは別の場所からやってきた謎の男。己というものを持たない悲しい存在」と記されており、カオナシが本来この世界の住人ではないことが示されています。
「他人の声を使わないと意志を伝えられない…主体性がない」とも記載されており、無個性の象徴とも捉えることができます。
これは、彼が何かの象徴であり、具体的な存在ではないことを意味しているのかもしれません。
また、作中でカオナシが他人を飲み込み、その特徴を吸収することから、「個性を持たない存在」としての側面が強調されています。
カオナシは常に他者を模倣するだけで、自らの意志を持たない存在なのです。
正体は幽霊的存在?妖怪の伝承
「顔無し」という存在は、地方の農村などでは神様を侮辱したり、いたずらをしたりするとついてくる妖怪としての伝承があるようです。
これが「神隠し」と関連しているとも言われています。
この伝承によると、「顔無し」はイタズラをした者に恐ろしい呪いをかけ、その人の顔を奪い取って、その人として人生を乗っ取って生きていく存在とされています。
この伝承が、カオナシの設定に影響を与えた可能性もあるでしょう。
正体は現代の若者の象徴
カオナシを「現代の若者」と重ねる説もあります。
その理由として、
1. 言葉を持たず、意思疎通が苦手
2. 物質的な報酬(砂金)で人を動かそうとする
3. 我慢ができず、すぐに感情を爆発させる
といった特徴が挙げられます。
しかし、これは若者に限った話ではなく、誰しもが持つ側面でもあります。
実際、宮崎駿監督は「カオナシは誰の心にもいる」と語っており、特定の世代ではなく、人間全体の特性を描いたキャラクターだと言えるでしょう。
米林宏昌監督をモデルにしてる?
ジブリの制作陣の間では、カオナシのモデルが当時のアニメーターであり監督の米林宏昌氏だったというエピソードもあります。
> 「カオナシのシーンを僕が描いていた時、宮崎さんがそれを見て『お前じゃないか!』と言ったことがきっかけで、いつの間にかモデルということになった」
と米林監督自身が語っています。
実際に意図的にモデルにされたわけではなく、制作中の冗談が広まった結果として語られるようになったようです。
カオナシは、『千と千尋の神隠し』の中でも特に謎の多いキャラクターです。
彼の正体については、
- 欲望の象徴
- 悪魔や試練の具現化
- 現代人の姿の反映
- 異世界の住人
など、様々な解釈が存在します。
宮崎駿監督が「カオナシは誰の心にもいる」と語ったように、見る人によってその意味は変わるのかもしれません。
あなたは、カオナシにどのような意味を見出しますか?
カオナシの正体に関する噂のまとめ
- カオナシの正体は「欲望の象徴」とされ、人間の欲望に翻弄される姿を描いている
- 作中で千尋を金で誘惑するも拒否され、暴走する様子が人間の欲望の危険性を示唆
- 「サタンの象徴」とする説があり、作中に「サタン」の文字が映るといった考察も存在
- 沼の底駅の名前が聖書における「底知れぬところ」に由来する可能性がある
- 宮崎駿監督は「カオナシは誰の心にもいる」と語り、人間の孤独や寂しさの象徴とも言える
- カオナシは「居場所がない存在」とされ、湯屋の世界とは異なる異世界の住人という設定
- 映画パンフレットには「己を持たない悲しい存在」と記載され、無個性の象徴とも解釈される
- カオナシは他人の声を吸収して話すため、主体性のないキャラクターとして描かれる
- カオナシのモデルはジブリのアニメーター米林宏昌監督というエピソードもある
- カオナシのデザインは「顔無し」の妖怪伝承に影響を受けた可能性がある
- カオナシを「現代の若者の象徴」とする説もあり、言葉を持たず衝動的に行動する点が共通
- 物質(砂金)で他者を操ろうとする姿が、現代社会の価値観を風刺しているとされる
- カオナシの旅は精神的成長のプロセスを表し、銭婆の元で安定を得ることで解放される
- 千尋との関係は「自己確立と欲望の克服」を象徴する重要なテーマと考えられる
- 見る人によってカオナシの解釈が変わるため、普遍的な人間の本質を描いたキャラクターといえる