加藤茶さんの再婚相手といえば、45歳年下の加藤綾菜さんが話題となりましたが、初婚の奥さんはどんな方だったのでしょうか?
加藤茶さんの前妻・加藤鈴子さんについて調べてみました。お2人の離婚理由や馴れ初めを見ていきましょう!
目次
加藤茶の前妻は加藤鈴子(田前鈴子)
加藤茶さんは1987年11月20日、加藤鈴子(旧姓で田前鈴子)さんという一般人女性と入籍しました。加藤鈴子さんは笑顔の素敵な女性です。
入籍の翌日に、結婚披露宴の様子がテレビ放映されるなど、当時は非常に話題となりました。
年の差婚で前妻は18歳年下
前妻の加藤鈴子さんの結婚時の年齢は、26歳でした。当時の加藤茶さんの年齢は44歳だったので、18歳の年の差婚でした。
話題となった再婚だけでなく、初婚もかなりの年の差婚なので、加藤茶さんは本当に年下の若い女性が大好きだということが分かりますね。
前妻はきもの学院で着付講師として勤務
前妻・加藤鈴子さんは、独身時代は「きもの学院」で着付の講師をしていました。
きもの学院は青山の他にも、現在では都内各所(日本橋室町、銀座、吉祥寺、荻窪)に教室がありますが、加藤鈴子さんが結婚された時期である1987年頃には「青山本校」しかありませんでした。
そのため、加藤鈴子さんが勤められていたのは「きもの学院 青山本校」だろうと考えられます。
加藤茶と前妻(加藤鈴子)の離婚理由
加藤茶さんと加藤鈴子さんは16年間の結婚生活を続けてきましたが、2003年3月1日に離婚してしまいます。離婚理由は何だったのでしょうか。
加藤鈴子さんとの離婚理由は、加藤茶さんの女癖の悪さにあったようです。
売れっ子の有名芸能人ですから、多少火遊びがあるだろうことは加藤鈴子さん自身も理解していたと思います。それでも我慢ならなくなって爆発してしまったということは、異性関係のだらしなさが想定を凌駕するレベルだったのかもしれません。
芸能人ですから浮気をしたら簡単にバレますし、すぐ加藤鈴子さんの耳に入っていたはずです。
そして、加藤鈴子さんを傷つけていることも分かっていながら家庭を顧みることもなく、何度も何度も繰り返す姿に、蓄積したストレスが許容値を越えて、崩壊してしまったのだろうと推測します。
若い子が大好きな加藤茶
度重なる浮気や銀座の高級クラブ通いが辞められなかった加藤茶さんに、前妻・加藤鈴子さんの我慢が限界に達して離婚を申し立てたそうです。
確かに、初婚は18歳差(結婚時の妻は26歳)・再婚は45歳差(結婚時の妻は23歳)での結婚ですし、加藤茶さんの「若い子好き」は事実なのかもしれません。
結婚当初は加藤鈴子さんも26歳でまだ若かったから良かったものの、結婚後16年も経てば42歳です。加藤鈴子さんが30代半ばを越えていって、若さを失った頃から大事にできなくなってしまったのかもしれません。
暗い雰囲気で旅行中の加藤家がハワイで目撃される
加藤茶さんと加藤鈴子さんが離婚をする2ヶ月前の2003年1月に、加藤一家がハワイのホノルルで芸能記者に目撃されています。
日本料理屋にいた加藤茶さんと加藤鈴子さん、そして3人の子どもたちは、ハワイ旅行中という浮かれた状況にも関わらず全く楽しそうな雰囲気ではなく、まるでお通夜のように暗い空気だったと記者はコメントしていました。
離婚直前の「最後の晩餐」だったのではないかと、いわれています。
慰謝料や養育費を巡り、泥沼化
離婚することとなった加藤茶さんは会見で、金銭面について「慰謝料、養育費は別として、生活費は払っている」とコメントしました。養育費は子供が成人するまで支払うことで合意したと報道もありました。
しかしながら、実際には養育費や生活費の支払いについて滞ることがままあり、前妻と加藤茶さんの間で度々揉めていたそうです。
子供が成人するまで支払うことになっていた養育費の振り込みも止まってしまい、さらに、支払うと約束していた光熱費などの生活費の請求書が加藤鈴子さんの自宅に届くようになり(元々は加藤茶さんの口座から引き落とすことになっていた)、約束と違うことに怒りを覚えた加藤鈴子さんは家庭裁判所に申し立てを行いました。
加藤茶さんの生活費や養育費の支払いが本格的に止まった時期は、加藤綾菜さんと再婚した後でした。
新しく20代前半の若い妻を手に入れて、前妻とその子供たちの生活はどうでもよくなってしまったのでしょうか。もしくは新しい年下妻にお金を使い過ぎてしまって、金欠になってしまったのかもしれません。
いずれにしても前妻の加藤鈴子さんは、とてもやるせない気持ちになったことでしょう。
加藤茶の前妻(加藤鈴子)が再婚した可能性
前妻・加藤鈴子さんが再婚したとの情報はありません。
離婚後の養育費未払い問題が報じられた時は、いまだ加藤茶さんが残した家に子どもたち3人と一緒に住んでいたので、この時点で新しい方との再婚はなかったといえます。
このタイミングで加藤鈴子さんは既に51歳だったので、その後に再婚相手を見つけて再婚している可能性は低いのではないでしょうか。
もちろん50代で新しい恋愛を探すことはあり得ますが、芸能人ならいざ知らず、一般人の女性が相手を見つけられる可能性は、残念ながら低いのではないかと考えます。
加藤茶と前妻(加藤鈴子)の馴れ初め
加藤茶さんと加藤鈴子さんは「テレビ局のパーティー」で知り合いました。
当時、着物講師をしていた加藤鈴子さんは、テレビドラマや番組の着付けで撮影協力をしていたのかもしれませんね。勤務先の「きもの学院」も都心の青山にあり、テレビ局関連の仕事依頼も多かったのではないかと考えられます。
「加トちゃん」のキャラクター柄、着物やはんてんを着る機会が多かったはずです。着付講師だった加藤鈴子さんは、番組の衣装さんとしてテレビの制作現場に携わっていた可能性があります。
当時20代で綺麗な美人だった加藤鈴子さんは、番組の関係者から打ち上げやパーティーにお誘いの声をかけてもらって、加藤茶さんと知り合ったのかもしれませんね!
加藤茶と前妻(加藤鈴子)の結婚の決め手、プロポーズの言葉
加藤茶さんから見て18歳も年下の20代の加藤鈴子さんは、妻として一生守りたい可愛い存在であったに違いありません。また、加藤鈴子さんから見て、厳しい芸能界で成功して活躍し続けている加藤茶さんは、旦那さんとして非常に頼りになる存在に見えたはずです。
一般的に結婚を考える際、男性は女性に対して「若さと容姿」、女性は男性に対して「経済力」を求めていることが多いです。加藤茶さんと加藤鈴子さんは、求めるものをお互いに満たしていたことが結婚の決め手だったのではないでしょうか。
プロポーズの言葉は明らかになっていませんが、いつも通りの明るい加トちゃんで、にこやかなプロポーズになったのではないかと想像してしまいます!
加藤茶と前妻(加藤鈴子)の結婚披露宴は番組中継された
加藤茶さんと加藤鈴子さんの結婚披露宴の様子は、1987年11月21日に「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」で中継放送されました。視聴率はなんと36.3%で驚異的な記録を残しました。
当時は芸能人の結婚披露宴中継が度々行われていて、その中でも加藤茶さんと加藤鈴子さんの結婚披露宴は歴代視聴率ランキング4位でした。
18歳差という大きな年齢差での結婚に、多くの視聴者が興味を持ったのでしょう。
加藤茶と前妻(加藤鈴子)の夫婦生活
加藤茶さんと前妻・加藤鈴子さんは一体どのような夫婦生活を送ってきたのでしょうか。夫婦の関係性を表す画像やエピソードをご紹介します。
ラブラブ新婚ツーショット
こちらは加藤茶さんと加藤鈴子さんの新婚当初のツーショットです。デート中の写真でしょうか、お2人ともおしゃれで上品な服装をしています。
加藤鈴子さんが寄り添って腕を組んでいて、新婚ラブラブですね!
大動脈解離を発症した加藤茶を献身的に支えた
離婚後の2006年、加藤茶さんは体調不良で緊急入院してしまいます。病名は「Standard A型 大動脈解離」で、大動脈の内壁が裂けてしまう危険な病気でした。
一時、生死の境をさまよった加藤茶さんでしたが、心臓の出口にある大動脈を人工の血管に取り換えるという約10時間にも及ぶ大手術をし、無事に成功しました。
手術後、療養のため入院をしていた加藤茶さんを支えたのは、離婚した前妻の加藤鈴子さんでした。離婚しているにも関わらず、加藤茶さんのことを心配して駆けつけ、献身的に看病していたそうです。
大動脈解離の手術は大変なものなので、落ち着いたとしても再度厳しい芸能の仕事に戻るのは難しいかもしれないと言われていましたが、加藤茶さんはなんとリハビリ後4ヶ月で芸能界に復帰しました。
早期復帰の影には、前妻の加藤鈴子さんの力があったのですね。
加藤茶と前妻(加藤鈴子)の子供は3人
加藤茶さんと前妻・加藤鈴子さんとの間には、3人の子供がいます。2人は一般人ですが、1人は芸能界デビューしています。
前妻との間に生まれた子供たちの各プロフィール
第1子 | 長男・氏名不明 | 1988年4月生まれ | 一般人 |
第2子 | 長女・加藤文代 | 1991年3月生まれ | 女優 |
第3子 | 次男・氏名不明 | 1993年3月生まれ | 一般人 |
子供たちは3人とも既に成人しています。
第1子の長男と第3子の次男は、芸能活動は一切しておらず一般の方なので、お名前や職業は不明です。一般的な会社員として働かれていると考えられます。
父親が有名芸能人ということもあって、もしかするとテレビ局など芸能メディア関連の業種に就いているかもしれませんね。
第2子の長女のみ芸能活動をしています。女優として活動をしていますが、加藤茶さんと親子で番組出演をしたことが数回あるものの、それ以外には今のところあまり目立った活躍はありません。
長女(加藤文代)は女優として下積み中
加藤文代さんは女優として活動していました。
2006年9月13日放送の「高級クラブママ青山みゆき 女帝バトル殺人帳簿」に主演・名取裕子さんの娘役として出演し、女優デビューを果たしました。
その後は加藤茶さんと一緒に、親子で番組出演することも度々ありました。2006年10月10日には「踊る!さんま御殿!!」に出演しています。
ただ、なかなか表立ってブレイクすることはなく、以後は主に舞台女優として2015年頃まで活躍していたものの、表舞台からは姿を消してしまいました。
嫉妬の感情もあるかと思いますが、視聴者からは「親の七光り」と揶揄されることもあり、厳しい声にさらされてしまいました。
スタートは親の七光りであったとしても、本人に実力があれば外野の声も黙らせることが出来たでしょうが、色々と難しかったのかもしれません。
再び加藤文代さんが姿を見せたのは、2011年3月1日に行われた加藤茶さんの芸能活動50周年記念イベントです。
サプライズで花束を持って登場した加藤文代さんに、加藤茶さんは感動して涙を浮かべていました。
この頃、加藤文代さんは「HIDEYOSHI2015」のはな役や「私立ルドピコ女学院『VOI.3ロストセブンティーン』」の田野倉由香役として作品に出演し、活動していました。「実力のある脇役に徹したい」という目標の下、女優の下積みを続けていたようです。
現在は一般人として企業にお勤めなのか、いまだ女優としての活動を諦めずに下積みを続けているのか、詳細は不明ですが、こうしてメディアの前に再び出てきたということは、まだ芸能界で頑張りたい気持ちがあったからなのかもしれません。
"実力派脇役" としてブレイクする日も来るかもしれませんね!