紅の豚でおなじみ、森山周一郎さんの現在についてまとめました。

脳梗塞で倒れましたが、その日はたまたま久喜市の自宅にいたため、すぐに奥様が気づいて救急車を呼び、一命をとりとめた声優です。後日談も詳しく調べてみました。

声優、森山周一郎のプロフィール|代表作は紅の豚!渋くてドスの効いた声

  • 本名: 大塚 博夫
  • 生年月日・誕生日: 1934年7月26日
  • 年齢:83歳
  • 出生地・出身:愛知県名古屋市
  • 身長: 173cm
  • 血液型: A型
  • 職業:俳優、声優、ナレーター
  • 活動期間: 1957年
  • 家族:結婚していて妻あり
  • 学歴:愛知県立犬山高等学校卒業、日本大学藝術学部映画学科中退。劇団東芸第1期研究生

元々は映画のカメラマンを目指して上京しました。そして日本大学藝術学部映画科に入学。日芸といえば、数々の著名人やアーティストを輩出している名門校ですよね。

在学中に、養成所の試験を受け、そのときに声優との出会いがありました。担当者に「声」をほめられ、そこから俳優を志すようになりました。

たまたま受けたタレント養成所の試験で「君の声はラジオドラマに使えるよ」とほめられた。

これを機に俳優を志し、53年に劇団東芸の第1期研究生となった。

どこに可能性が転がっているのか、わからないものですね。社会的に活躍している人は、過去に思いがけない出会いをしていて、それが転機になって今がある、というストーリーを持っていることが多い気がします。

運を味方につけることも、成功の必須条件なのかもしれません。

巣鴨でアルバイトをしながら俳優デビューへ

デビュー前は、巣鴨の石炭販売店でアルバイトをしながら、練習を積んでいきました。

この時期はちょうど民放が続々開局していた時代です。森山さんは時代の波に上手く乗り、次第に生放送のドラマに起用されるようになりました。

セリフを間違えない俳優として知られていて、そのためセリフを間違えられない生放送ではかなりの引っ張りだこに。オファーが殺到していたそうです。

森山さんは元々、マルチな才能をお持ちの方で、スポーツでも一定の成果を残しています。

高校時代は野球部、スカウトから実業団野球

なんと、俳優の才能だけではなく、野球の才能もきちんと花開いていました。20代半ばから30代前半まで、俳優と野球選手を掛け持ちしていました。

そんな職種の兼業は聞いたことがありませんよね(笑)特殊な人だったんだなということがうかがえます。

「でも本当は、野球で飯が食えればいいなとも思っていた」。本塁から外野スタンドまで約100メートルの遠投ができ、50メートルを6秒そこそこで走る走力があった。

地方大会準優勝が最高成績だったが「スカウトには名が売れていた」。25歳から32歳まで、劇団俳優の仕事と実業団野球の二足のわらじをはいていた。埼玉県立の工業高校から請われて、野球部の監督も2年務めた。

紅の豚ポルコ名言「飛ばねえ豚は、ただの豚だ」当たり役にも恵まれる強運を持つ声優|代表作など

様々な持って生まれた才能がある時点で運が良いですが、さらに声優業でも、自分の声質にハマる当たり役がくるという強運の持ち主。

ここまでくると、羨ましくなってきてしまいます。

外国作品の吹き替えも人気で、米テレビドラマ「刑事コジャック」の主役テリー・サバラスの吹き替えが当たり役。

スタジオジブリのアニメ映画「紅の豚」では主役を演じ、「飛ばねえ豚は、ただの豚だ」の名ぜりふで知られる。

「飛ばねえ豚は、ただの豚だ」はあまりにも有名な名言ですね。「A pig who doesn’t fly is just an ordinary pig.」と英訳までされているほどです。

紅の豚での特徴ある低音ボイスのセリフは、日本人のほとんどの人が聞いたことあるのではないでしょうか?もはや、国民的名言ですね。

途中、ポルコの声優が変わったという噂が流れたことがありましたが、デマでした。変える理由もそもそもよくわからないですし、発生原因もよくわからない謎の噂です。

森山周一郎さんの低音ボイス声は父親からの遺産

森山さんの持って生まれた財産、それは「声」です。特徴のある渋くてドスの効いた素敵な低声は、父親譲り。

森山さんは、自身の声についてこのように語っています。

独特の低音は生まれつきだ。9歳のころに他界した父の地声に似ているらしい。子どものころにはよく友だちから笑われたが、「父から大きな遺産をもらった」と思う。

「父から貰った相続税の掛からない遺産です。この声のおかげで80を越した今でも食べていけるのだから」

「TRICK」のナレーションも担当

森山周一郎さんは、人気ドラマ「トリック」でナレーションも務めていました。

あの渋いナレーションがあってこそ「TRICK」という感じがします。シリーズ途中でナレーションが無くなった際には、かなりの不満が続出しました。

その後、劇場版「TRICK」(2002年)では、再び森山周一郎さんのナレーションが復活

森山周一郎、久喜市の自宅で倒れる!脳梗塞発症時の家族(奥さん)と救急隊員の神対応で命拾い

1999年7月23日の朝、森山周一郎さんは、埼玉県久喜市の自宅で倒れました。「右足がまひして立てない」その様子を見た奥様が即座に救急車を呼びました。

まひ自体は15秒で収まったそうです。

この日、コラムの執筆の仕事の締め切りが迫っていた森山さん本人は、まひがすぐに収まっていたこともあり、「もう治った」と救急隊員に伝えて仕事に戻ろうとしました。

しかし、自分の健康を過信している森山さんに、救急隊員が厳しく諭します

「それが一番危険。放っておいてはだめです」

その後、病院へ行き検査をした結果、脳梗塞であることが判明したのです。放っておいたら、取り返しのつかないことになっていました。

奥さんが救急車を呼んでいなかったら、その救急隊員に諭されることもなく、重大性を認識していなかった森山さんは、自分から病院へ行くこともおそらくしなかったでしょう。

奥さんが救急車を即座に呼んだこと、救急隊員がきちんと病院へ行くように諭したことなど、周りの人の神対応によって、森山さんは命拾いしたのでした。

救急車で病院へ運ばれた後、今度は発作が起こりました。

(まひの症状は)脳梗塞による「一過性の脳虚血発作(TIA)」と診断されました。入院した日から翌日にかけ、5時間おきに発作を繰り返しました。

薬で治療を続けることになり、症状は次第に軽くなりましたが、右手が意思と関係なく動く「不随意運動」が目立つようになってきました。

入院後数日は、このような発作に悩まされたそうです。しかし、後遺症は一切遺らなかったそうで、これまた強運を発揮されています。良かったですね。

後遺症は遺らなかったため、声優業への影響はありませんでした。

森山さんは現在、声優養成所を運営「森山塾」

現在は、後継の育成に力をいれていて、声優の養成所を運営しています。

声優業界も時代の流れで随分と空気が変わっていって、生き残りが厳しい世界になっています。そんな厳しい世界の中でも、生き残っていけるような個性ある声優を育てたいとおっしゃっていました。

他にも、バラエティ番組に出演して、視聴者からの声優に関する質問に答えるなど、現在も精力的に活動されています。

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