俳優兼映画監督として活躍中の利重剛(りじゅうごう)さんには、再婚した嫁がいます。
嫁の名前は「今野登茂子」さんで、あのプリンセス・プリンセスのメンバーでキーボードを担当していたとか。
名脇役として話題の利重剛さんの結婚生活について調べてみました。
目次
利重剛の嫁・今野登茂子は再婚相手
利重剛さんの嫁は、今野登茂子さんです。
2002年に結婚されました。とてもお綺麗な女性ですよね。こんな方が嫁だなんて羨ましい限りです。
本名は「笹平登茂子」さんで、1965年7月15日生まれ。埼玉県浦和市(現さいたま市)出身です。
利重剛の嫁・今野登茂子の職業はミュージシャン
嫁の今野登茂子さんといえば、1986年頃に一世を風靡したガールズロックバンドの「プリンセス プリンセス」のメンバーで、キーボード担当でした。
その後はソロ活動も行い、バンドが解散した後も音楽活動を続けていました。
1994年にアルバム「24hours」をリリースし、ソロ活動では「愛してる」「麦わら帽子」等の曲を発表しました。
その他、ドラマや映画の楽曲提供も行っており、映画「パイパティローマ」では主演女優を演じたこともあります。
1996年にプリンセスプリンセスが解散した後は、キャスターを務めていました。「ひるどき日本列島」「スタジオパークからこんにちは」等に出演歴があります。
現在は、キーボード教室の講師もしています。
利重剛と嫁・今野登茂子の馴れ初め
俳優の利重剛さんとミュージシャンの今野登茂子さんは、どのように出会ったのでしょうか。馴れ初めが気になったので調べてみました。
2人が出会ったきっかけは番組での共演でした。
NHK-BS210周年記念企画の「中国敦煌シルクロードの旅(1999年)」において、嫁の今野登茂子さんがレポーターを担当、利重剛さんが監督兼俳優を担当していました。
かなり過酷な撮影環境だったそうですが、そんな中でも嫁の今野登茂子さんは懸命に取り組んでおり、利重剛さんは「いい奴だな」と感じたことで好意を持つようになりました。
過酷な環境では人間の本性が見えてくるものですが、嫁の今野登茂子さんはそんな時でも素敵な人間性だったのでしょう。
2人はすぐに意気投合し、交際に発展。出会いから3年後の2002年に結婚しました。
お互いにどこを好きになったのか
子供が生まれて家事に育児に追われるようになると、今野登茂子さんは人前で演奏することもなくなっていってしまったそうです。
なんとお子さんは、母親がプリンセスプリンセスのメンバーでバンドをしていたことすら知らないまま育ったのだとか。
2012年にプリンセスプリンセスの再結成があって、久しぶりにステージに立つ機会がありました。かなりブランクがあったので、練習やリハーサル等の準備にかなり忙しかったと思われます。
その時期、旦那の利重剛さんは今野登茂子さんが疲れて帰ってくると「シチューを作っておいたよ」と優しく迎えてくれていたそうです。
今野登茂子さんは、そんな利重剛さんの優しさが「本当に嬉しかった」と語っています。
利重剛さんが優しくて思いやりがあることはもちろんですが、そういった旦那さんの優しさに気づいて、嬉しいと表現する素直な今野登茂子さんも素敵ですよね。
お互いに思いやりがあって、理解があるところに惚れて好きになり、結婚に至ったのかもしれませんね。
結婚の決め手
利重剛さんと今野登茂子さんの結婚の決め手について、公式には語られていません。
お互いに人間性に惹かれて交際したと思われるので、これからの長い人生を一緒に暮らしていけそうなイメージが湧いたことが、結婚の決め手になったのかもしれませんね。
プロポーズシーン
利重剛さんは今野登茂子さんにどんなプロポーズをしたのでしょうか。プロポーズについても、公になっている情報はありません。
お互い2回目の結婚だったこともあり、プロポーズにはあまり重きを置いていなかったかもしれませんね。
結婚式&披露宴
利重剛さんと嫁・今野登茂子さんとの結婚式についても、公開されている情報はありません。
再婚だったこともあり、結婚式や披露宴はあまり盛大には行わずに、身内のみで粛々と行ったのかもしれませんね。
利重剛さんのタキシード姿と今野登茂子さんの花嫁姿を見てみたかった方も多いと思いますが、画像がなくて残念です。
利重剛と嫁・今野登茂子の間には子供が1人いる
利重剛さんと嫁の今野登茂子さんとの間には、子供(娘)が1人います。
娘の名前は公表されておらず、詳細が分からないのが残念ですが、プリンセスプリンセス再結成時に放送された「ドキュメンタリー」で子供と一緒に宿題をする様子が流れたことがあります。
顔はハッキリ映りませんでしたが、出産時に「どちらに似ているかまだわからないが、まつげが長くてかわいいです」とコメントしていたことがあるので、きっと母親に似て美人な子なのでしょう。
誕生したのは2004年5月4日といわれており、現在は既に20歳は超えています。ネット上では「のどか」さんというお名前だと噂されていますが、根拠はありません。
進路も不明ですが、いずれご両親と同じように芸能界デビューなんていうこともあるかもしれません。
利重剛と嫁・今野登茂子は再婚同士の結婚
実は、利重剛さんと嫁の今野登茂子さんは、再婚同士の結婚です。
今野登茂子の元旦那は誰か
今野登茂子さんは、プリンセスプリンセスが解散した直後に1回目の結婚をしていたといわれています。かなり極秘に結婚していたようで、結婚相手すらわかっていません。
結婚後すぐに離婚したとのことで、結婚期間はかなり短かったとか。報道されることもなかったので、お名前も職業も何も情報が残っていません。
ネット上では、元旦那は会社員だとか自営業(経営者)とか業界関係者とか様々な憶測が飛び交っていますが、どれも信ぴょう性はありません。
今野登茂子と元旦那の馴れ初め
何も情報が残っていないので、馴れ初めも不明です。
バンドが解散してすぐのタイミングだったことから、音楽の仕事関係で出会った相手だったのかもしれませんね。
もしくはプリンセスプリンセスのファンとか、音楽関係者で開催した芸能パーティや合コンで出会った可能性もあります。
バンド活動中の時期に音楽番組「HEY!HEY!HEY!」にプリンセスプリンセスが出演した際、なんと奥居香さんが「メンバー全員に彼氏がいるタイミングがあった」とコメントしたことがあるので、忙しく音楽活動をしながらも恋愛には積極的に動いていたのではないでしょうか。
合コンで出会った可能性も、本当に無くはないだろうと思われます。
利重剛の嫁・今野登茂子が元旦那と離婚した理由
結婚してマスコミに嗅ぎつけられる前に離婚していることから、スピード離婚だったのでしょう。
それだけ早く離婚に至ったということは「あまり考えずに勢いで結婚してみたら、失敗だった…。」という可能性が考えられます。
また、若すぎる年齢での結婚は後悔することも多く、事前に将来の方向性や価値観を詰めずに、結婚に求めるものをお互いに話し合うことなく入籍してしまった…。ということも考えられます。
例えば男性側が「結婚したら嫁は仕事を辞めて旦那の実家で暮らして家事育児に専念するのが当たり前」という価値観で、女性側は「結婚しても仕事を続けたい」と思っていた場合、結婚した瞬間から全く意見が合わなくなります。
他にも、片方は「結婚したら子供は絶対欲しい」と思っていて、もう片方は「子供は絶対に欲しくない」と思っていた場合、結婚生活を続けるならば片方が必ず折れなければならないので、2人とも幸せになる道はありません。
上記の場合に、2人とも幸せになるには別れるしかありませんので、「仕事」や「子供」といった人生を形成する重要な価値観が違うことを理由に、即離婚をすることはあり得ます。
お互いがどうしても譲れなければ、早く離婚した方がお互いのためですよね。
利重剛の元嫁は鷺沢萠で作家をしていた
利重剛さんは、鷺沢萠(さぎさわめぐむ)さんと一回目の結婚をしています。
鷺沢萠さんは作家をされています。
1987年(当時、鷺沢萠さんは18歳)に「川べりの道」で文学界新人賞を受賞してデビュー。若くして女性で受賞したということもあり、かなり話題となりました。
瑞々しくて美しい文体に引き込まれるファンが多かったそうです。その他には「葉桜の日」「大統領のクリスマスツリー」「帰れぬ人々」などの代表作を生み出しています。
デビューから4年後の当時22歳の時に利重剛さんと結婚しましたが、1年で離婚してしまいました。
鷺沢萠さんが1992年に発表した「帰れぬ人びと」は、若くして結婚して離婚した主人公の話で、自身の結婚生活を投影した作品だといわれています。
利重剛と元嫁・鷺沢萠の馴れ初め
利重剛さんと元嫁・鷺沢萠さんの馴れ初めは分かっていません。
鷺沢萠さんは受賞してデビューをしたことから、当時テレビ番組などに呼ばれてメディア露出する機会も多かったのではないかと思われます。
芸能界に関わる中で、利重剛さんと出会い、交際に発展したのではないでしょうか。
利重剛と元嫁・鷺沢萠の離婚理由
利重剛さんと元嫁・鷺沢萠さんの離婚理由については公表されていませんが、かなり若い頃の結婚であり、勢いで結婚したのかもしれません。
文豪で芸術肌の鷺沢萠さんにとって、結婚生活は窮屈に感じてしまったのかもしれません。
人と一緒に生活するには、諦めなければならないことも出てくるので、まだ世間をほとんど知らなかった22歳の鷺沢萠さんにとっては、難しいこともあったのかもしれません。
離婚してしまったものの、別れてからも利重剛さんは鷺沢萠さんに、年に1回程度の挨拶の連絡をしていたそうです。
険悪に別れていた場合は、挨拶すらままならないはずなので、円満に離婚していたのかもしれませんね。
そうであれば、離婚理由は不倫や借金などのネガティブなものではなく、価値観が合わないのでお互いに別々の道を行くことにしたという前向きな理由だった可能性があります。
元嫁の鷺沢萠さんは、2004年4月に亡くなっています。
突然の訃報に対して利重剛さんは「突然のことで驚いています。残念です。ご遺族の方にお悔やみを申し上げます」と所属事務所を通じてコメントを発表していました。
利重剛と元嫁・鷺沢萠の間に子供はいた?
利重剛と元嫁・鷺沢萠の間に子供はいません。
結婚生活は1年間でしたし、すぐに離婚したということは夫婦生活も上手くいっていなかったと思われますので、子供は出来なかったのでしょう。