冨永愛さんの1人息子、冨永章胤さんの父親が誰なのか気になる人は多いようです。
冨永愛さんはシングルマザーで冨永章胤さんを育ててきましたが、父親はどんな方なのでしょうか?
目次
冨永章胤の父親はパティシエ
母親・冨永愛さんを彷彿とさせるスラリとした体形に目を惹かれます。息子である冨永章胤さんは、2005年3月27日に東京で生まれました。
シングルマザーの母子家庭で育てられた冨永章胤さんは、現在母親と同じモデルの世界に飛び込んで日々頑張っておられるようです。
パリ在住の日本人パティシエと冨永愛が結婚
気になるのが冨永章胤さんの父親ですが、パリ在住の日本人パティシエだったそうです。冨永愛さんは2004年秋に結婚し、その翌年に冨永章胤さんを出産、2009年に離婚をしています。
ネット上の噂では、冨永章胤さんの父親は「フランス国家最優秀職人賞(MOF)」を受賞した経験があると書かれていますが、これは誤りです。
調べてみたところ、日本人のパティシエでMOFを受賞した人は一人もいませんでした。2022年には「料理部門」で日本人初受賞をされた方(関谷健一朗さん)がいますが、他には誰もいません。
冨永愛さんはパリで仕事をすることも多かったですよね。
仕事の合間に立ち寄ったお店や飲み会などで出会ったのかもしれません。パリ現地で出会ったのでしょう。
鼻と唇は父親似かもしれない
目元や輪郭は冨永愛さんにそっくりですが、鼻と唇はあまり似ていません。鼻と唇は、きっと冨永章胤さんの父親に似ているのでしょうね。
冨永章胤の父親がパティシエをしているお店はどこか
スイーツの本場フランスで活躍する日本人パティシエともなれば、それほど数もいないはずなので特定できそうなものですが、父親に関しては職業以外の情報は一切なく、詳細不明です。
パリで活躍する日本人パティシエといえば「MORI YOSHIDA」のオーナーである吉田守秀さんが有名ですよね。
実は探してみると、何人もパリで実力を認められた日本人パティシエの男性は出てきます。
青木定治さん | 「Pâtisserie Sadaharu AOKI paris」オーナーシェフ |
吉田守秀さん | 「Mori Yoshida」オーナーシェフ |
高橋 翔さん | 「Les Climats」パティシエとして勤務 |
手島竜司さん | 「PAGES BLANCHES」オーナーシェフ |
もしかしたらこの中に、冨永章胤さんの父親がいる…のかもしれませんね!
冨永章胤の父親も高身長だった!
冨永章胤さんの身長は190cm!
母親の冨永愛さんの身長は179cmで、こちらも女性としてはかなりの高身長です。
噂によれば、冨永章胤さんの父親も高身長の男性なんだとか。
冨永章胤さんは、両親の良い遺伝子をしっかりと受け継いで、抜群のスタイルを手に入れたのですね!
ご両親からもらった高身長とスタイルの良さを活かし、冨永章胤さんは現在モデルとして、絶賛活躍中です。
冨永章胤の父親と母親が離婚した理由
冨永章胤の父親と母親は、2004年10月に結婚したものの、2009年4月20日に離婚されました。離婚理由は公式には発表されていません。
ネット上では、離婚理由について収入の格差があったこと、旦那の妻への束縛と嫉妬が凄かったことが挙げられています。
収入の格差
パリで日本人パティシエとしてやっていけてる時点で、その業界ではかなり勝ち上がっているように思えますが、それでも世界的なスーパーモデルの冨永愛さんの人気や稼ぎには敵わなかったのかもしれません。
父親として、仕事で負けているのがどうしても許せなかったということなのでしょうか。
パティシエとモデルでは業界がまるっきり違うのですから、あまり比べるものでもないかと思うのですが、気にしてしまう人もいらっしゃるのでしょう。
バニーガール姿に嫉妬
また、何かの社交パーティーに出席した冨永愛さんがバニーガール姿だったことに嫉妬したらしいという逸話もあります。
確かにモデルの冨永愛さんがバニーガール姿になったら、さぞかし綺麗でしょうし、色んな方の視線をくぎ付けにしてしまうのは避けられないですよね。パートナーにとっては耐え難いものだったのかもしれません。
詳細な離婚理由は明かされていない
これだけが原因というわけではないかと思いますが、色んなことが積み重なってだんだんと気持ちが離れていってしまったのでしょう。
もし、仕事でも嫉妬され、容姿というか異性としての魅力にも嫉妬されていたとなると、なかなか一緒に生活するのはしんどいですよね。
4年半で結婚生活は終了してしまいました。
冨永章胤と両親との関係性、幼少期エピソード
冨永章胤さんは、ご両親との幼少期エピソードで有名な話がいくつかあります。
生後6ヶ月でランウェイをウォーキング
冨永章胤さんは、生後6ヶ月の時に母親・冨永愛さんに抱えられて、ランウェイをウォーキングしたことがあります。
最初のランウェイが0歳だったなんて人は他にいないでしょうから、モデルのサラブレッドですね!
モデルになるべくして生まれた子供だったのかもしれません。
「生まれてこなきゃよかった」と言ってしまった
シングルマザーとして冨永章胤さんを育てながら、モデル業など芸能活動で働きまくっていた冨永愛さんに対して、小学3年生の冨永章胤さんは少し寂しく思っていたようです。
仕事が忙しすぎて、親族や知人、友人に冨永章胤さんを預け、ほぼ休みなく働いていたそうです。
そんな生活が続く中、冨永章胤さんは(お母さんは僕のことなんてどうでもいいと考えてる)と感じ、「生まれてこなきゃよかった」と泣きつきました。
離婚して父親もいないですし、冨永章胤さんは本当に寂しかったのでしょうね。
バリバリに働いていたのも、シングルマザーで自分が育てなければいけないという責任感から、冨永章胤さんのことを想っての行動だったかと思うのですが、小学生の子供には難しく、そんな親の気持ちは分かりません。
この言葉を聞いた冨永愛さんは目が覚め、仕事を3年間休業することを決意しました。
モデルは他の職種に比べて、ブランクを空けてしまうとほとんど戻ることが困難になる職種ですが、それを承知の上で、冨永愛さんは冨永章胤さんとしっかり向き合うために、休業することを決めました。
将来のために頑張ることも大切ですが、辛抱して働いている今の時間も人生の一部に変わりありません。人間どんどん年を取るので、小学生の子供との時間は過ぎてしまえば二度と戻ってきません。
冨永愛さんは色々と考えて、親子の時間を優先したのでしょう。母親の愛情深いエピソードですね。
父親代わりの長渕剛
冨永愛さんは、長渕剛さんと家族ぐるみでの付き合いがあるくらい仲良しです。元々、冨永愛さんが長渕剛さんのファンでしたが、知人を介して2011年頃に知り合いました。
冨永章胤さんとの接し方を相談したり、子育ての悩みに対してアドバイスをもらっていたようです。
冨永章胤さんが習っていた空手も、長渕剛さんがおすすめしたことがきっかけだったそうです。
冨永愛さんが仕事で一杯いっぱいになっている時は、長渕剛さんが冨永章胤さんの面倒を見たり、遊びに連れて行ってくれたこともあったとのこと。まるで父親代わりですね!
冨永章胤の父親についてのファンのコメント
身長190cmであれだけの美貌を兼ね備え、オーラを解き放っている冨永章胤さんを観たファンは、「両親からの遺伝」に関する話に興味津々です。
一体誰が父親なのか気になっている人も多いようです。詳細が明かされていないことから、余計に想像が膨らんでしまいますよね。