「メアリと魔女の花」の監督を務めた、米林宏昌(よねばやしまさひろ)さんは、宮崎駿さんが牛耳るジブリを脱してきた人物です。
退社理由が気になるところですよね。
脱ジブリをしてきた米林さんですが、メアリの作風はジブリっぽいと話題に(笑)やっぱり寄っちゃうものなんですかね。
声優陣はジブリによく出演している人たちだったりするので、もしかするとワザと寄せに行っている可能性もあります。
米林宏昌監督と宮崎駿監督との間に、どんな確執があったのでしょうか…?
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米林宏昌監督の退社理由はジブリ制作部門の解体によるもので宮崎駿との確執があった訳ではないらしい
米林宏昌さんと宮崎駿さんとの間に確執があって揉めた結果離れて行ったのではないかと言われることも多かったのですが、実際のところはそうではないようです。
現実的な経営の問題で、ジブリ制作部門を2014年に解体。それに伴って、多くの監督・クリエイターが個人として活動を始めたのだそう。300人いたクリエイターはほとんど退社しました。
解体の理由は、端的に経済的な問題。スタジオジブリでは多くの人員を雇っていて、人件費だけで1日数千万円が飛んで行っていたようです。これを維持するためには、ヒット作品を世の中に出し続けなければいけません。
確かにジブリ作品は毎回話題となって、かなりの興行収入やら物販の収入やらがありますが、ここ最近は思った程のヒットには恵まれずに資金繰りが苦しくなってきていました。
というより、毎回ヒット自体はしているのですが、制作費をペイ出来るレベルでの大ヒットが出来ていなかったようです。
しかも、おまけに(再び)宮崎駿監督が引退宣言をしたので、ジブリ的には結構カオスな状況になっていました。
ジブリって発表すれば「ドル箱」だと思われている節がありますが、実際はしばらく赤字続きだったそうです。「ハウルの動く城」以降は自転車操業だったようです。
このまま続けていてはジリ貧になるということで、手遅れになる前に、退職金を払えるうちに、制作部門を一挙大解散した、というわけなのだそうです(2014年頃)
宮崎監督が若手で一番期待してたんじゃなかったっけ。結局一人の力でもってる組織の柱が抜けるとどんどん崩れるね。
Twitter(2015年3月12日)一般ユーザー
世間にはこんな声がたくさんありましたが、揉めて若手のエースが抜けたことで全体が瓦解してしまったわけではなく、経営判断で一気に解散したというだけのことだったのです。
「思い出のマーニー」で組んだ西村義明プロデューサーが、米林宏昌監督を中心にして、前の仲間たちと一緒に新しい作品を作ろうと考えて立ち上げたのが、スタジオポノックだったというわけです。
という経緯でしたので、内部で仲違いがあったわけではないのです。とはいえ、揉めたわけではないにしろ、経営悪化で解散ってことは事実上リストラですからね(笑)
制作部門は解散しちゃったけど、その中でも作品を生み出すことに情熱があって、志があった米林宏昌監督と西村義明プロデューサーが、新しくスタジオポノックを立ち上げたのです。
スタジオポノックの立ち上げ、米林宏昌と西村義明の熱意「クリエイターは宝だった」
西村「数か月前まで、凄まじい勢いで一緒に制作に向かい合っていた仲間が誰もいない。前々から制作部門を閉じるとは聞かされていたのですが……
愛している存在が留守にしている間にふわっと消えてしまった。その現実を見ると、虚無感というか……
終わっちゃうんだぁって……そういうことしか覚えていないです」
ジブリ制作部門が解散となり、虚無感に襲われていた西村さん。徐々にこのままでいいのか?という気持ちが湧いてきました。
西村「スタジオジブリの作品が大好きでここに入って、高畑監督、宮崎監督と映画を作ってきた。ここには9割の苦しさと1割の喜びがありました。
最高のクリエイターが集って『一本の映画で世界を変えられる』と信じて邁進してきた。でも、みんなバラバラに散ってしまう」
そんな西村さんの熱意に共感したのが米林宏昌さん。そして、西村さんと米林さんの2人でスタジオポノックを立ち上げることになったのです。2015年6月頃の話でした。
「ポノック」とは「深夜0時」を意味するセルビア・クロアチア語です。新たな一日のはじまりという意味が込められています。
スタジオポノックについて宮崎駿監督のコメント
元ジブリの巨匠2人は、こんなコメントをしています。
宮崎「安心した。ココ(ポノック)が元気なかったら、アニメーションは終わりだもんな」
高畑「スタジオポノックは今後、長編アニメーション映画のひとつの牙城になるかもしれませんね」
ジブリ上層部の鈴木敏夫さんは「メアリと魔女の花」の試写会に出席されていますし、関係性は結構良好なようです。
宮崎駿監督が檄を飛ばしにスタジオポノックに訪問!米林監督に宛てて、激励の手紙を送った
立ち上げたばかりで、ジブリの冠もない無名のアニメスタジオでしたから、当初は運営がなかなか大変でした。そんなポノックを元気づけるために、宮崎駿監督が訪問。
「宮崎さん、5カットくらい描いてくれないですかね」と言うと、そのまま無言で帰宅したらしい宮崎駿監督でしたが、後日長文の手紙がポノックに届きました。
翌日にA4で2ページに及ぶ米林監督宛の手紙が届く。
「僕が描いてしまうと、この作品を傷つけることになる。それはやってはならない」
というコメントの後に、宮崎さん流の作品を完成させるメソッドと激励の言葉が直筆で綴られていた。
解散後、こういった宮崎駿さんや高畑さんとのやりとりを経て、米林さんと西村さんは、もう自分たちは師弟関係ではなく、独立した人間として自分の足で立たないといけないと強く感じたそうです。
「僕たちは、『今、作るべき作品を作る』だけなんです。例えば、高畑、宮崎両監督の晩年の作品テーマは『生と死』。
今の僕たちが同じテーマを描けと言われても、いいものは作れません。自分たち自身がまだこの世の別れについて答を出せていないからです。
逆に、80年近く生きてきた今の彼らに『ラピュタやトトロのような作品を作って欲しい』っていうのは、違うと思います」
ポノックは明らかにジブリの色を引き継いでいます。しかし、そうでありながらも、ジブリの焼きまわしでなく、自分たちの作品を紡いでいかねばなりません。
ポノック作品第1号である「思い出のマーニー」は、第88回米アカデミー賞長編アニメーション部門にノミネートされました。
取材のインタビューでは、次回は「思い出のマーニー」とは正反対の快活に動くファンタジー作品をやってみたいと答えていましたね。
かなり試行錯誤の日々だそうですが、次回作も楽しみです。